2018年7月26日木曜日

百済の子孫






百済の子孫
2018.7.26(木)

夜の9時から、扇風機の涼しい風に当たりながら、
「涼しいなあ、幸せだなあ」とご機嫌でいたら、
天井の隙間から、コウモリがバタバタと乱入…。
部屋中を飛び回るので、毛布を振りながら、
「いや、悪いんだけど、表で遊んでよ」と、
窓を開けながら、ずいぶんと説得いたしました。

夕方から、同期の牧師の安否確認をしようと電話すると、
何とか健康なようで、一安心しました。
世間話もふつうにしていたら、私が、
「日本はいい国だねえ」と言い始めたあたりから、
その牧師の政権批判が爆発…ちょっと閉口しました。

 「赤坂自由亭は許せない! 怒りがこみ上げた!」
と言うので、私が時系列で説明をしました。
でも、反日マスコミの報道のオウム返しで、
私は、「政権側の言い訳をしている」と、非難され…。
今のキリスト教会って、こんな左翼なんかなあ。
そんなので、気が滅入ってたら、コウモリでした。

その牧師と話していて、反日の人は、
天皇を貶めたいのか、「天皇は、朝鮮人と結婚した」
ということを強調するようです。なんでかな…。
 たぶん、女系天皇に道を開くつもりじゃないかな。
天皇は、「貴種継承法」だと、前回言いました。
血筋が2678年続く、最古の王室なんですね。
反日の人は、何とか、これを途絶えさせたいわけです。 

確かに、南朝鮮と日本は、同じ南方系の民族です。
聖書の民が、南方から、南朝鮮と日本にやって来ました。
百済の日本人が、日本の「和歌の父」となったのが、
古今和歌集に歌を残した、王仁(わに)でした。
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり
 今は春べと 咲くや この花」 
こんな美しい歌、同じ日本人でないと、歌えませんよね。
百済と日本は、言語が共通していた証拠です。

同一民族だったから、百済が新羅に攻められると、
天智天皇は救援軍を派遣して、
白村江(はくそんこう)で戦ったのです(663年)。
日本人が、同一民族の沖縄を守るために、
6万5千人も、沖縄に戦いに行って、死んだのと同じです。
このことを幾ら説明しても、その牧師は、
「沖縄は捨て石にされた」と言うのですから、
戦後の洗脳教育は、事実を隠蔽してしまいました。

その百済から、日本に帰化したのが、秦氏です。
秦の始皇帝の末裔と言われる人々ですが、
日本にやって来て、松尾大社、伏見稲荷大社を建てました。
つまり、百済にも神道はあったわけです。
ところが、百済が滅亡したために、
朝鮮半島から、日本色が消えてしまったのですね。

それでも、済州島には、日本と同じく「海女」がいるし、
「王は東(日本)からやって来た」という伝説が残っています。
済州島以南の朝鮮は、昔は、日本人が住んでいて、
支那では、南朝鮮と日本を「倭国」と呼んだのでした。

1980年以降、朝鮮半島南西部から、
日本と同じ前方後円墳が次々と発見されました。
 「何でも朝鮮がルーツ」と言いたい韓国では、
発掘調査が始められますが、
日本のものより新しいとわかって、すぐに埋めてしまいます。
「王は東からやって来た」とは認めたくなかったんですね。

私、菅野も、「すがの」と読む限り、百済ルーツかも知れません。
有名な「蘇我氏」も、「蘇我」の前は「すが」だったようで、
「蘇我入鹿」は「聖徳太子」だったと言う人もいて(関裕二氏)、
保守派の物部氏とともに、改革派の蘇我氏は、
日本の建国のために努力したようですな。
たぶん、菅野家の先祖も、百済出身の改革派かなあと…。

ともかくも、
「日本を建てあげようよ。批判ばかりじゃ、いけないよ。」
と言って、その牧師との電話を終えた次第です。
3時間ぐらい…あんまり、実りある会話じゃなかったなあ。
どうしてこんなに、日本を悪く言う人ばかりなんだろうか。
「日本が嫌なら、中国に行くとか、北朝鮮に行ったらどう。」
と、思わず、お薦めしてしまいました。
私は…コウモリでさえ、かわいい、日本が好きだ!!











2018年6月29日金曜日

貴種継承法、天皇陛下











貴種継承法、天皇陛下

2018.6.29(金)

暑いせいか、キーボードが2つ、ダメになりました。
ひとつは「や」の字が打てなくなり、「クリスチン」になります。
もうひとつは、コーヒーをこぼして、Ctrlキーが固くなり…。
「や」のキーボードはMicrosoftに電話して、交換してもらうことに。
コーヒーの方は、キーを外して、歯間ブラシで掃除しました。
何とか、2日がかりで復旧し、今は快適に打てています。

アブラハムの嫁選びの箇所なんですが、天皇陛下と同じですねえ。
藤原系の道鏡に乗っ取られそうになりましたが、
和気清麻呂の機転で守られ、今日まで奇跡的に守られています。
天皇陛下と言っても、悪い陛下もおりました。
雄略天皇は、皇族をたくさん殺したために、皇位継承の危機に…。
次の清寧天皇に子がなく、皇室は四散してしまっていたからです。

その時に、播磨の国(兵庫)にふたり、皇位継承者が見つかります。
弟の弘計王(をけのみこと)が23代の天皇陛下に、
兄の億計王(おけのみこと)が24代の天皇陛下になりました。
ふたりは、身分を隠し、牛馬の世話までしていたんですね。
けれども、その皇子が25代の武烈天皇…またまた悪い天皇でした。

武烈天皇には子がなく、娘ばかりでした。
それで、応神天皇の代まで遡って、皇位継承者を探します。
そうして、応神天皇の5代目の継体天皇を見出したのです。
その継体天皇に、武烈天皇の姉妹を嫁にし、皇后としました。
継体天皇は男系であって、女系になったわけではありません。
皇后が婿をとったのではなく、応神天皇の系図が選ばれたのです。

貴種継承法というのは、尊い父祖の系統を守り抜くということです。
アブラハムも、イサクの嫁選びを、親族に求めましたし、
ヤコブも、嫁探しに親族のところまで行きました。
血は濃いほうが良いわけで、カナンの血に染まろうとしなかった。
天皇陛下の信仰は、先祖崇拝という貴種継承の線に沿っています。

仁徳天皇陵を世界遺産にしようなどと、とんでもないことです。
今も天皇陛下は健在で、その先祖のお墓も天皇のものです。
宮内庁が管理して、全く手をつけずに神聖に守ってきたものを、
世界遺産にし、市の管理下に置き、考古学の手を入れるのですか。
滅びたエジプト王朝のピラミッドならわかります。
2,678年も天皇家は続き、今も天皇家は健在なのです。
墓荒らしを許し、天皇の先祖を汚させてなるものですか。
ユネスコの悪巧みに乗ってはなりません。

104代の後柏原天皇は、あまりに貧しくて、
22年間、即位式もできないほどでした。
それでも、戦国武将たちは侮ることなく、
だれもが、早く京に上って、天皇を仰ぎたいと望んだのです。
日本の特攻隊の慰霊祭を毎年のように守り続け、
天皇陛下にお会いできたら、飼い犬のように大人しくなっている、
ドゥテルテ大統領の姿と重なります。
天下を取ると、喜び勇んで、天皇をお迎えに行った秀吉もそうです。
すべての人が「仰ぐ御方」―それが、尊い天皇陛下なのです。

貴種継承法の他に、財産継承法もありました。
江戸や大阪の豪商は、子がないとか、息子が商売の才がないと、
娘に有能な婿を取りました。番頭とか、手代とか…。
娘がいなければ、夫婦を養子にとったのでした。
大名とか、殿様とかは、藩を守れればだれでも良かった。
ですから、天皇陛下のように尊敬の対象ではありませんでした。

私たちは、アブラハムの子、ダビデの子、
イエス・キリストの系図に連なっているのです。
天皇の民であり、同時に、キリストの民でもあります。
尊い日本人であり、尊いクリスチャンなのです。
民族の誇りは、どんな民族でも持っていますが、
天皇陛下の子どもであり、世界の造り主キリストの子どもです。
こんな尊い血筋を、ただただ感謝するのみです。



















ってしまいました。

2018年6月13日水曜日

平和を造る国、日本















2018.6.13(水)

平和を造る国、日本

昨日は米朝首脳会談、トランプ氏はよくやりました。
金正恩氏のメンツを立てたのは、リビアの時と同じです。
ただし、カダフィ氏は2003年に核放棄宣言、
その8年後に自国民によって殺害されてますから、
金正恩氏も、側近による暗殺が懸念されます。

米韓軍事演習も中止にしたし、
最終的には韓国から米軍は徹底し、38度線は対馬海峡に…。
日米露の同盟が強化され、朝鮮半島は緩衝地帯になります。
いよいよ、本格的な米中対立の始まりですな。

日本は9条のせいで、拉致被害者が続出しました。
なにせ、自国民を拉致されても、反撃しない国ですから。
千人近くが拉致され、多くは殺されたろうと思われます。
自国民を守れない国を、「国」とは呼べませんな。
無念ですが、改憲が進まない今は、米国頼りです。
米国の軍事的圧力を背景に、拉致問題は日朝会談へ…。

日本は神武天皇の時代から、平和を造る国でした。
「六合(りくごう)を兼ねて国を開き、
八紘(はっこう)を掩(おお)いて宇(う)となさん」
大和朝廷ができたからには、もう内紛はやめましょうよ。
天の下(はっこう)は、ひとつの家(宇)となりましょうよ。
神武天皇の「八紘一宇」は、国内の平和をうたうものでした。
争う氏族に、「戦いはやめて、仲良く暮らそう」と勧めたのです。

八紘一宇という平和宣言が、日本の始まりでした。
第二次世界大戦が始まると、同盟国ドイツは、
「ユダヤ人迫害政策に協力せよ」と、再三求めてきました。
その時、陸軍大臣板垣征四郎は、
「神武天皇は、この国を開かれた時に、八紘一宇とおっしゃった。
ユダヤ人を迫害するのは、神武天皇のお言葉に反する」
と言って、ドイツの要請を退け、ユダヤ人救助を日本の国是としました。

それから、リトアニアの外交官杉原千畝は、六千人のユダヤ人を助け、
満蒙国境では、関東軍の樋口季一郎が、二万人(?)のユダヤ人を助けました。
ユダヤ人が押しかけた敦賀港と舞鶴港は、「人道の港」と呼ばれたのでした。
東条英機と板垣征四郎は、ユダヤ人救助を命じた指導者ですから、
東京裁判は、ユダヤ人迫害を裁いたニュールンベルク裁判とは正反対でした。

神武天皇と言えば、今は皇紀2678年ですから、
聖書で言えば、北王国の滅亡とバビロン捕囚の間、マナセ王の時代です。
しかも、神武天皇の歌はたくさん残っていて、実在は確かです。
神武天皇の即位は、BC678年の1月1日、新暦では2月11日で、
紀元節と言いましたが、その後、「建国記念の日」となりました。
天孫系の神武天皇は、出雲系の妻を迎えて、
大和朝廷は、出雲の国と和解をしたのでした。

日本書紀には、「天皇がした悪い行ない」がたくさん書かれています。
それは、聖書の列王記や歴代誌と同じで、歴史的な事実だからです。
自分たちのした罪を隠さないところは、まさしく聖書の民です。
しかし、多くの天皇は「宝の民」として日本国民を愛し、
八紘一宇の思いで、日本の平和、世界の平和を願って来られました。
今上天皇が美智子皇后と自家用車でテニスに行く動画があって、
あまりに旧式のポンコツ車でお出かけなので、驚きました。
公用車とは違った、つつましい天皇のお姿でした。

さて、これからは日朝会談です。
土台は、トランプ氏が敷いてくださったので、今からスタートです。
けれども、アメリカのように軍事力を背景に対等に話し合うことは無理です。
北朝鮮の核廃棄には、200兆円が必要と言われています。
日本が傾くほどのお金を出して、拉致被害者が戻って来ない、ではいけません。
だいたいが、9条をいいことに、取り放題で拉致したのです。
「返してほしければ、金を出せ」と、きっと戦後賠償を振りかざしてくるでしょう。

けれども、日本は「平和を造る国」です。
八紘一宇の精神で、考え深く、道を造って行ってほしい、と思います。
安倍首相―あなたにしか、できないことだと知っています。
オバマ大統領を広島に導いた手腕は、ほんとうにお見事でした。
トランプ大統領の指南役として、米朝会談を取り仕切ったのもあなたです。
これから、どんな驚きをみせてもらえるのでしょうか。
御国を来たらせたまえと、希望をもって祈ることができます。
主よ、私たちの王を、天皇と首相をお守り下さい。

2018年6月6日水曜日

武の国、日本












2018.6.6(水)

武の国、日本

昨日はちょっと疲れて、ブログはお休み…なんでかなあ?
今日、目医者さんに行ったら、初期の白内障とドライアイだとか。
それで、一日6回目薬を…面倒だなあと思うけど、やっぱ、目は大事です。

病院の行き帰りは、Youtubeで、世の中の動きをおさらいしました。
北朝鮮から、漂流舟が今年で40隻、水死者の推定は約1000人です。
対北朝鮮のキーマンは、CIAのポンペイオ氏で、福音派のクリスチャン。
トランプ氏が改革派、ペンス氏が福音派…いずれも保守的な信仰者、
アメリカの政治の中枢はすごいことになっていますね。 神さまの祝福を!

キリスト教会の立場からすれば、オバマ氏やヒラリー氏といった、
リベラルなクリスチャンが、悪いことばかりをしてきた後始末を、
福音派のクリスチャンが尻拭いをしてくれている、って感じですね。
FBIや司法省、国務省の腐敗は酷いらしい。日本の財務省と同じです。
民主党とヒラリー氏のロシアゲートを、早く暴いてほしいなあ。

さて、日本は神武天皇から始まる「武の国」で~す。
アメリカほどドロドロしていない…今のアメリカはクリーンだけれど…。
さて、山幸彦(浦島太郎)の孫・神武天皇は、東征の末、大和朝廷を開きました。
宇佐(大分)で、家来の天種子命(あまのたねのみこと)が、
土地の菟狹津媛(うさつひめ)と結婚し、その子孫が中臣(なかとみ)氏になります。

安芸(広島)、吉備(岡山)、河内(大阪)と、その威光で従えて大和(奈良)へ。
大和の豪族、長髄彦(ながすねひこ)は応戦し、
天皇の兄、五瀬命(いつせのみこと)は傷を受け、紀州(和歌山)で死んでいます。
この長髄彦は、瓊瓊杵尊とともに天孫降臨した兄弟、
饒速日命(にぎはやひのみこと)の従者で、饒速日命の義弟にあたります。
饒速日命は、天磐船(あまのいわふね)に乗って、河内に降臨していました。
聖書の神の民は、宮崎だけでなく、大阪にも住み着いていたのですね~。

一旦退却した神武天皇は、八咫烏(やたがらす)という大きな烏に導かれ、
大軍を率いて大和に着きますが、軍を率いたのが日臣命(ひのおみのみこと)、
その功績により、道臣命(みちおみのみこと)の名を授かりました。
のちの、大伴(おおとも)氏になります。

長髄彦と戦う時に、神武天皇の矢の先に金色の鵄(とび)がとまって、
長髄彦の軍は目がくらみ、戦えなかったと言います。
明治以後、それに因んで、功績ある武人には、
金鵄勲章(きんしくんしょう)が授けられるようになりました。

長髄彦は神武天皇に帰依せず、 妹婿・五瀬命の敵でもあったので、
饒速日命は、長髄彦を殺し、神武天皇に従いました。
この饒速日命の子孫が、物部氏となりました。
大和を平定した神武天皇は、奈良の橿原(かしはら)に宮殿を建てました。

こうして、「武の神」、神武天皇は、武によって日本を始めたのでした。
日本という国は、「武人」であられる、天皇の国として始まったのです。

だからさあ、中国や朝鮮に負けちゃダメだよ。
アメリカとも対等に、武人らしく、堂々と渡り合おうよね。

2018年6月5日火曜日

男系の日本人




2018.6.4(月)

男系の日本人

今日は少し涼しかったですね。けれど、身体はついて行きません。
夕方の7時から、ジムでサンドバッグを叩いて、少し元気になりました。
お昼は、家内の作ったお弁当をいただきながら、虎ノ門ニュースを見ました。


12日の米朝会談の裏では、米軍と自衛隊は緊迫した戦闘態勢に入りました。
「トランプ氏は選挙を控えているから…」なんて、テレビはお話しにならない。
「一触即発」―何が起きるかわからない、危険と背中合わせですね。

安倍首相は、戦闘が起きる事態にも、適切な判断をしてほしいです。

日本は、神武天皇に至る神話の時代にも、男系が続いてきました。

伊弉諾(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)の夫婦(兄妹)から、
素戔嗚(スサノオ)と大日孁貴(オオヒルメノムチ)という姉弟が生まれました。
アダムとエバから、後のイスラエルとユダが生まれたって感じかな。

素戔嗚と大日孁貴(天照大神)が結婚して生まれた息子の息子が、
日本の宮崎に天孫降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)です。
それから、素戔嗚は高天原(カナン)を追い出されて、出雲(島根)へ。
ということは、大和族も出雲族も、男系ですよね。

宮崎に来た瓊瓊杵尊は、原住の部族の木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)と結婚。
その子どもが、海幸彦(火明命ホアカリノミコト)と
山幸彦(彦火々出見尊ヒコホホデミノミコト)になります。
山幸彦が、瀬戸内海の海神(ワダツミ)の娘、豊玉姫(トヨタマヒメ)と結婚します。
これが有名な、浦島太郎が龍宮城のお姫様と結婚した話ですね。

その浦島太郎の息子の息子が、「神武(じんむ)天皇」で、
ここに皇室の歴史が始まります。
つまり、神武天皇も男系で、以来ずっと、天皇は男系なのですね。

天皇はずっと、「血を守る」というサラブレッドの家柄でした。
近親結婚の良いところは、威厳のある「貴族」の風格を産むことでした。
もちろん、伊弉諾、伊弉冉の子に「蛭児(ヒルコ)」という奇形児が生まれたように、
近親結婚は、奇形児を生むリスクも大きかったのですが、
日本の指導者にふさわしい、知恵に満ちた人格者も生んできたのです。

それが、大和武尊(ヤマトタケルノミコト)や聖徳太子でした。

そういう天皇の国、日本ですから、この危険な時には、
歴代の武士が天皇を守って来たように、安倍さんと自衛隊に、
しっかりと日本を守って、拉致被害者を取り戻してほしいですね。
がんばれ、日本男児。男系天皇に、神さまの祝福あれ。


2018年6月2日土曜日

移民の受け入れ、世界四位




2018.6.4(土)

移民の受け入れ、世界四位

暑くなると思ったとおりに、今日は暑かった…。
ホームページをとりあえず仕上げて、息子に弁当を届け、ジムで汗を流して、ポスターを教会に届けて、帰宅。
息子は、プログラムの仕事が大変そうで、げんなりしていた。
暑さのせいもあるのだろうが…。

それで、昨日の「虎ノ門ニュース」をYoutubeで見ながら、
家内の用意してくれた、私のお弁当をいただいた。
「日本がついに、移民の受け入れ、世界四位!」
そりゃ、街を歩けば、中国語ばかりだし、肌で実感はしていた。
しかし、「世界四位かあ…」―ここが安倍政権の弱点だな。

自民党の長尾敬さんが出演していて、具体的な話をうかがった。
2度めのアメリカへの敗戦と言われるブラザ合意(1985年)。
それ以来、日本は規制が甘くなった。日本を守らなくなった。
特に「日本に住んでさえいれば、健康保険に入れる」はひどい。
4-50歳の人が学生ビザで来て、3ヶ月で国民健康保険に入る。

日本で高額医療を受けても、僅かな支出で済む。
母国に残した家族が母国で受けた医療も、扶養家族で支払う。
今の政府は、外国人を手厚くもてなし、日本人に冷たい。
若者の仕事は外国人に奪われ、税で外国人を助けている。
聖書が、「異邦人を大切に!」と命じているのとわけが違う。

政治家が外国に支配され、日本人が軽んじられている。
日本人を大事にし外国人も大事にする、という順序があるはず。
拉致の救出に向けて、国連にも米国にも、よくやって来た。
歴代の総理の中では、最も優れた首相だと、そう思う。
 けれども、移民は受け入れすぎていますよ。

長尾さんが、「外国人が健康保険の使い回しをする、
健康保険証に、顔写真ぐらいないと、不正が防げません。」
一番大変なのは、医療現場だとおっしゃっていました。
高度で安い医療を求めて、移民の爆買いですものねえ。
「日本は日本人のもの」―私は、そう思っています。









2018年6月1日金曜日

日本人はどこから?


2018.6.1(金)

日本人はどこから?

暑いですねえ。6月になりました。ブログも再開しま~す。
暑い時は、水浴びしたいですね。それこそ、日本人のルーツですからね。

日本は「海洋国家」―6852個の島々から成る、水の国ですよ。
どこから、この海洋国家にたどり着いたかと言えば、「南方」からです。
①日本古来の住居は、「高床式」(伊勢神宮)でしょ。夏向きですよね。
②禊(バプテスマ)をするでしょ。南方の儀式ですよね。
南国人としては、水浴びしたい、そよぐ風を風鈴で感じて、涼みたいなあ。

南方の何処かと言えば、「高天原」(たかまがはら)でしょうね。
カナンから、南方でお米を仕入れて、日向国(ひゅうがのくに、宮崎)に着いたんだね。
それを、「葦原中国」(あしはらのなかつくに)と名付けたんだね。
漢では「中国」(ちゅうごく)と読んで、平面の世界の中心だけれど、
日本では「中国」(なかつくに)と読んで、上下の世界の真ん中なんだ。
天上の世界(高天原)と地下の世界(黄泉の国)の真ん中が、地上の世界なんだ。

天照大神(あまてらすおおみかみ)は、義の太陽、イスラエルの神さまかな。
神の民の指導者瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、天孫降臨で日本にやって来たんだね。
南朝鮮に着いて百済(くだら)国を造ったのも、同じ日本人だよね。
沖縄人も、DNAも同じ日本人、言語も古い日本語なんだ。

日本本土では、神武天皇が国を初めて、直系の天皇が、今125代目になります。
皇紀2678年の今も、日本は「神の国」として、光輝いていますよ。

旧約の神さまに源を持つであろう日本の歴史は、「神話」となっています。
「伝承」は考古学で実証できますし、生きる勇気を与えるための「伝説」なんですね。
日本の武士は、「神さまが御立てになった天皇」に仕えて来ました。
藤原氏は、天照大神に仕えた天兒屋根命(あめのこやねのみこと)の子孫です。
ですから、天皇家を本家として、その血筋をお守りして来たのです。
源頼朝も、56代の清和天皇の分家として、本家を守ったのですね。

日本は水の国、太陽から出た国、神話の国、イスラエルの遠い子孫です。
聖書の教えを守ることのできる、愛と義に立った、優しい日本人の国なんですね。
「日本には、人と平等に接してくれる天皇がいると聞く。
私は、その人こそ、キリストだと思う」と、ロシアのユダヤ人が言ったそうです。
いいえ、天皇が祈りをささげておられる、まことの神イエスさまがキリストなんです。
「キリストが与えてくださる、命の水」を浴びたいですねえ。

そんなことを思いながら、6月1日を迎えました。明日も暑いかなあ…。
















2018年2月4日日曜日

国造りの設計



 藤岡信勝「教科書が教えない歴史」の「国造りの設計」の章の前半をまとめます。
 1853年にペリーの率いるアメリカ艦船四隻が来航し、日本に開国を迫りました。欧米の列強が植民地を拡大して行く中で、日本は初めて、覇権主義国家の脅威を身に感じました。欧米列強は世界のほとんどを植民地化していて、極東の果てにある日本だけが、まだ植民地にしていなかったわけです。なにせ、遠かったものですから…。

 吉田松陰は長州藩・萩(山口県)の人で、江戸に遊学に来ていた時に黒船来航を目の当たりにしました。萩に帰った松蔭は、「これは日本の危機であるから、旗本・譜代に任せるのではなく、幕府の総力を上げて、立ち向かうべきである」と、藩主に意見書を書きました。それは、「ひとつの藩の利益ではなく、国家の立場で物事を考えるべき」という、近代国家思想に発展して行きます。松蔭の考えは「明治維新」につながるものでした。
 翌年もペリーは来航しました。松蔭は密航を企てますが、ペリーに拒否され、失敗に終わりました。その後、松蔭は故郷、萩に帰り、「松下村塾」を開いて、若者たちの育成にあたり、優れた指導者を輩出しました。自分を「僕」と呼んで、仕える精神を表したのも松蔭でした。しかし、1858年、安政の大獄で、松蔭は捕らえられ、江戸、伝馬町の牢で処刑されます。30歳でした。松蔭の松下村塾は、明治維新の発祥地となりました。

 松蔭と同じく、黒船の来航を目の当たりにして、日本の将来を憂いた人物に、坂本龍馬がいました。土佐藩(高知県)の出身で、剣の修業で江戸に出ていました。竜馬は、松蔭のように幕府が総力をあげるよりも、新しい政府のことを考えていました。そのためには、犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩が手を結ぶ必要があります。薩摩藩代表の西郷隆盛と、長州藩代表の桂小五郎の話し合いを成功させたのは、坂本龍馬の功績です。
 竜馬は、「船中八策」と呼ばれる新政府のための基本方針を考え、それが維新に引き継がれたと言われています。それは、①大政奉還する ②二院制議会を設ける ③有能な人物を政治に登用する ④不平等条約を改正する ⑤憲法を制定する(五箇条の御誓文) ⑥海軍を拡張する ⑦御親兵(近衛兵)を設置する ⑧金銀交換レートを変更する、といったものでした。竜馬も、大政奉還の一ヶ月後、暗殺されました。31歳でした。

 江藤新平は佐賀藩の人で、国政の基本方針を定めました。①中央集権制(君主制) ②三権分立 ③郡県制、を実行しました。列強から日本を守るには、天皇を君主とした中央集権によって、日本をひとつにする必要がありました。しかし、中央集権制が独裁とならないために、三権は分立しておく必要がありました。郡県制は、版籍を奉還しても、藩主が殿様意識を持ったまま、政府の言うことを聞かないといけないので、政府の命に従う地方機関として、どうしても必要でした。
 また、新平は「民法」を制定しました。司法省の権限を強めて、士農工商の封建的な身分制度をなくすためでした。士農工商は、カースト制度のようなものではなく、職業的な住み分けでした。日本は農民が主体で、農民を守るために武士が生まれた国です。けれども、新しい政府では、徴兵制によって国民がみな兵隊になりました。法のもとに平等でした。新平は、佐賀の乱で主導権争いに破れ、41歳で処刑されました。

 大久保利通は、薩摩藩の人でした。利通は廃藩置県を推進した指導者でした。1868年に明治政府ができても、政府にお金は全くなく、お金は地方の小国家、藩が持っていました。その封建制の仕組みを郡県制に変えて、政府から派遣された知事が地方を政府に従わせる仕組みを作らなければなりません。政府が財的に堅固にならないと、西欧の植民地化から逃れられません。しかし、倒幕から三年、まだ統一国家はなかったのです。その理由は、武士が藩から給与を得ていたからで、藩をなくすと武士が失業するからです。
 しかし、利通は周到な準備を重ねた上で、1871年に「廃藩置県」を断行してしまいます。一滴の血も流さずに、徳川封建体制を「統一国家日本」に変えたのです。諸外国では、何年も血を流さなければ得られない、大改革を行ないました。そのために、利通は私情を断ち切って、冷酷と言えるほどの行動に出ましたが、「日本全体を考えた」ゆえのことでした。こうして利通は、①富国強兵 ②殖産興業、によって日本を強くしました。1878年に暗殺されました。47歳でした。

 福沢諭吉は、中津藩の人ですが、新しい政府に仕えることをせず、自由な立場から新しい国造りを応援しました。徳川幕府の時代に、幕府から欧米に派遣され、「西洋事情」を書いて、西欧の進んだ文明を日本に紹介しました。「学問のすすめ」を書いて、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と説きました。それは、アジアの人々が、植民地のもとで、奴隷のようにこき使われている姿を見てきたからでした。「日本の国の独立」が諭吉の目的であって、学問はその手段に過ぎませんでした。66歳まで生きました。

 伊藤博文は、吉田松陰と同じ長州藩の人で、松下村塾の出身です。博文は、ドイツ・オーストリアに渡って、グナイスト、シュタインという学者から、一年半、憲法の教えを受けました。帰国後、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎、法律顧問ロエスレルと泊りがけで仕上げたのが「明治憲法」でした。1889年に、憲法発布の祝典が催され、翌1890年には、憲法に基づく、第一回衆議院議員総選挙が行われ、日本の国は確立しました。
 博文は、松蔭に「周旋の才あり」と評された人で、これは「交渉がうまい」という意味です。しかし、朝鮮併合だけは反対した人で、朝鮮人安重根に暗殺されました。68歳でした。吉田松陰が礎を築き、坂本龍馬が先駆けとなり、江藤新平と大久保利通が大きく躍進させた日本国は、伊藤博文によって完成しました。しかしながら、これらの有能な功労者たちが、ほとんど暗殺されているところに、日本の国の暗部を見ます。良き指導者を暗殺する国は、預言者たちを殺して来たイスラエルに似ています。先人の墓を建てるだけでなく、その功績を正しく評価しない限り、同じ愚を繰り返すと憂えるのです。