2017年9月8日金曜日

生贄の島







 曽野綾子の「生贄の島」を読みました。

 1945年4月1日の米軍の沖縄上陸から、6月22日の沖縄占領、その後、9月まで続く、抵抗する日本人の投降までの、今ならば、中学2年生から大学2年生までの若い女学生たちの従軍の記録です。激しく攻撃を受け、次々と死んで行く中で、彼女たちは実に無邪気で、勇敢で、正しく、また明るかった。悲惨な戦場を描きながら、その明るさは、人間の尊厳に満ちていました。

 米軍が上陸した4月1日は、復活祭の主の日でした、米軍が上陸した海辺は、神の国のように美しく、地雷などの心配もない、平和に満ちた場所でした。読谷村に着くと、壕の中に隠れていた家族は、十字架を握りしめたカトリック教徒で、白髪の老人は威厳に満ちた態度で、米兵に投降しました。 この最初の出来事は、「信仰による終戦」でした。沖縄のとるべき態度でした。

 負けたとわかれば投降すればよかったのです。相手は残虐な中国ではなく、キリスト教倫理を持った米国でした。けれども、日本のマスコミは彼らを「鬼畜」と喧伝し、教育は徹底抗戦を教えました。女学生までも、捕まれば強姦され、殺されると教え込まれました。確かに、アメリカが引き起こした戦争ですが、彼女たちには生き残る逃げ道がありました。それを絶ったのは、投降を許さなかった、大人たちの教育でした。「教師が捨て、アメリカが生かした」(仲宗根)のでした。

 日本兵は、女学生に言います。「君たちは何があっても、絶対に死んではいかん。死んでも何にもならんよ。生き残れば、それがお国のためになる。アメリカ人に会ったら、どうすればいいかわかるね。」「噛みついてやります。」「噛みつく代わりに、逃げなさい。」―無邪気だけれど、そう教育されてしまっているのです。米軍に押されて、砲弾で次々に死んで行く中で、彼女たちは、負傷兵のお世話をしながら、南へ南へと逃げていきます。やがて、戦死者は毎日のこととなります。

 南に行くと、まだ爆撃されていない民家があります。彼女たちは、キャベツでボール代わりに投げ合ってはしゃいだり、髪の毛をオシャレに結わえて笑っています。「私たち、恋愛もしないで死ぬのかしら。」「こんな時だからこそ、素敵な騎士でも、現れそうな気がするの。」 …兵たちの中には、死んだ兵士の靴や水筒を奪う者がいました。「死んだ人のものをとるなんて…。」と、彼女たちは悲しみました。爆音で突っ伏す兵士の姿がおかしくて、くすくす笑っていました。足のない兵士のために、みんなで杖を作ったりしました。

 女学生の多くが次々と死んで行きました。「私たちも死ぬわ。」と決意すると、大尉は「馬鹿なこと言うもんじゃない。お前たちは女子供じゃないか。アメリカは文明国だ。女子供には何もせん。」と留めました。兵士たちは、「死ぬだけが能じゃない。」と諫めて、自らは死んで行きました。壕の外では、「白旗を持って歩きなさい。自決してはいけません。着物も、食料もあります。命は保証します。」と呼びかける、米兵がおりました。それでも、女学生は出れませんでした。

  6月22日に、沖縄は占領され、星条旗が沖縄の地にはためきました。壕の女生徒は、「殺してください」と少佐に懇願します。「覚悟ができたのか」「はい」―それから、「水浴びさせてくれ」と離れた少佐は、「お姫さま、すまなかった。どうか生き抜いて、お母さんになってくれ。」と言づけてきました。行く当てもなく、壕の外に出た女生徒の前に、米兵が近づいてきます。妹の方が、「お姉ちゃん。死ぬのはよそうよ。死なんで、捕虜になろうよ。」と言うのでした。

 ゴザ市の米軍の野戦病院に着くと、DDTを頭に振りかけられ、体を洗うように言われ、衣服が与えられ、白いパンと肉料理と、薬が与えられました。「これが米鬼なのか」…まるで子供のように見えた女生徒には、ビスケットが与えられました。重症の女生徒のそばで、じっと見守っている、米軍の兵士がいました。逃げ出そうとする女生徒を、心配して、目を離そうとしない兵士もいました。

 逃げ惑って壕に入って、6-70体の女学生の遺体に遭遇した女生徒もいました。それは、全滅したひめゆり隊でした。壕を出ると、米軍のジープが近づいて来て、三人の兵士が彼女を取り囲みました。手りゅう弾を抜いて死のうとすると、兵士がとびかかって、彼女をとめました。


 仲宗根は、自殺するには足らないわずかな手りゅう弾をもって、岩の上に現れた米兵と向かい合っていました。「先生、手りゅう弾を抜きます」―皆が死ぬには、生徒が多すぎました。「抜くな、しばらく待て」と仲宗根がとめます。小さな男の子が、泣きながら歩き出して、米兵の脚をつかみました。「ドント・クライ・ベイヒー」、兵士は男の子の肩に手を置いて、そう言ったのでした。米軍の若者たちも、優しい心を持った人間でした。

 タイトルの「生贄」は、彼女の作品を利用した左翼活動家が言うように、「沖縄は生贄にされた」という意味ではないでしょう。日本の国は道徳的に民度が高い国でしたが、「米鬼」と教えるマスコミの犠牲になったのではないでしょうか。その教育が、ひめゆりを初めとした多くの犠牲者を出したのではないでしょうか。国と国は国益をかけて争いますが、キリスト教的価値観があるならば、「信仰による終戦」は、初めから用意されていたはずです。

 私は、もう「マスコミの生贄」を作ってはならないと思います。日本の兵士たちも、彼女たちに生きてほしいと、死んで行ったのです。