2016年5月26日木曜日

現代の魔女狩り



先週、ドイツで、スタップ現象が再現されたニュースを見た。半数がスタップ化したという。酸性ストレスをかける方法を、わずかに変えただけだ。アメリカのハーバード大学は、スタップ細胞の特許出願を、世界各国で申請し、20年間、この研究を独占したいとしている。
この研究の端緒を開いたのは、日本の若き研究者、小保方晴子だった。彼女の名前は、今や、生物学の歴史に残るものとなった。「あの日」を読み始めた途端、私は、この研究者の誠実さと、天才と言っていい、才覚に頭が下がった。このような純粋な研究者は、なかなかいない。
わくわくしながら、「細胞の中に、万能細胞になる因子があるんじゃなくって、それは生まれて来るものらしい」という、バカンティ教授とのやり取りを読んだ。本を読み始めると、私たちには、まるで自分が、研究者といっしょに研究しているような、冒険が始まる。
しかし、純粋な科学者を、 欲望にまみれた、どろどろとした世界がつぶして行く。「科学って、もっと優雅なものだと思っていた」「やっぱりお前はバカだな。こんなどろどろした業界なかなかないぞ。もうやめろ」-これが、小保方さんと相澤教授のやり取りだった。やはり、人間はただの罪人に過ぎない。
スタップ現象が、当初は再現できなかったため、マスコミが騒ぎ始め、「不正論文」という小保方叩きが始まった。NHKは、特集まで組んで、捏造番組を作った。毎日新聞は、「捏造の科学者」と、あることないこと書き立てた。そして—これが肝心なのだが—社会全体が、ひとりの天才的な若き科学者を、魔女狩りの標的にしてしまった。彼女の母校は、ついに彼女の博士号を取り消した。
けれども、今や、神さまのさばきが始まっている。スタップ細胞の存在を、理不尽なやり方で、小保方さんに再現を迫った理研だったが、「スタップ細胞は存在しない」と言っていた若山教授が、「つくることに成功した」と言い、共同研究者も、「見た」と言い始めた。「あの日」の出版後、状況は一転しつつある。

真実を、どこまでも隠し続けることはできない。笹井教授の自殺で、いじめに満足したHNKをはじめとするマスコミは、BPOから、「人権侵害」を申し立てられる立場になっている。捏造報道もひどいが、小保方さんを追いかけて、心と体に傷を負わせた、その責任は重い。
けれども、巨大なマスコミが、ひとりの女性をいじめることに、魔女狩りの喜びをもって酔った、この社会の責任はどうなのか? テレビ番組では、「あの日」を読んだというコメンテーターさえ、「醜い言い訳」のように、一蹴していた。ほんとうにちゃんと読んだのか? か弱い女性だと、どうして、いじめがいがあるのか。
「不正論文」という切り口に、いじめの特徴がみられる。いったい、論文に「不正」なんてあるのか。ひとりの女性が、酸性ストレスだけで、万能細胞が生まれることを発見した。これは、世紀の大発見だ。それを重大さを全く見ずに、「記述に問題がある」と、揚げ足取りをする—そのような人の品性をこそ、疑いたくなる。
聖書に、イエスさまの福音の本質を悟らずに、なんとか、攻撃の材料がないかと、すきを狙っているパリサイ人が登場する。言葉尻を捕らえたくって必死なのだ。だから、福音を悟れない。小保方さんの論文は、「万能細胞はあるのか? もっと知りたい! 」と受け止められていいのに、 社会全体が、若い女性のゴシップを楽しんで、魔女狩りの余興に酔いしれたのだ。ほんとうに卑怯だ。
はじめは、私は、小保方さんを攻撃するマスコミや、社会に呆れかえっていた。けれども、「あの日」を読みながら、このような女性が今も、日本にいるんだと思うと、何か、希望が沸いて来た。まさに、火で焼かれるような試練を通らされた女性だ。けれども、この日本に希望があるとすれば、このような女性がまだ、日本に与えられている、ということ以外にはない。