百済の子孫
2018.7.26(木)
夜の9時から、扇風機の涼しい風に当たりながら、
「涼しいなあ、幸せだなあ」とご機嫌でいたら、
天井の隙間から、コウモリがバタバタと乱入…。
部屋中を飛び回るので、毛布を振りながら、
「いや、悪いんだけど、表で遊んでよ」と、
窓を開けながら、ずいぶんと説得いたしました。
夕方から、同期の牧師の安否確認をしようと電話すると、
何とか健康なようで、一安心しました。
世間話もふつうにしていたら、私が、
「日本はいい国だねえ」と言い始めたあたりから、
その牧師の政権批判が爆発…ちょっと閉口しました。
「赤坂自由亭は許せない! 怒りがこみ上げた!」
と言うので、私が時系列で説明をしました。
でも、反日マスコミの報道のオウム返しで、
私は、「政権側の言い訳をしている」と、非難され…。
今のキリスト教会って、こんな左翼なんかなあ。
そんなので、気が滅入ってたら、コウモリでした。
その牧師と話していて、反日の人は、
天皇を貶めたいのか、「天皇は、朝鮮人と結婚した」
ということを強調するようです。なんでかな…。
たぶん、女系天皇に道を開くつもりじゃないかな。
天皇は、「貴種継承法」だと、前回言いました。
血筋が2678年続く、最古の王室なんですね。
反日の人は、何とか、これを途絶えさせたいわけです。
確かに、南朝鮮と日本は、同じ南方系の民族です。
聖書の民が、南方から、南朝鮮と日本にやって来ました。
百済の日本人が、日本の「和歌の父」となったのが、
古今和歌集に歌を残した、王仁(わに)でした。
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり
今は春べと 咲くや この花」
こんな美しい歌、同じ日本人でないと、歌えませんよね。
百済と日本は、言語が共通していた証拠です。
同一民族だったから、百済が新羅に攻められると、
天智天皇は救援軍を派遣して、
白村江(はくそんこう)で戦ったのです(663年)。
日本人が、同一民族の沖縄を守るために、
6万5千人も、沖縄に戦いに行って、死んだのと同じです。
このことを幾ら説明しても、その牧師は、
「沖縄は捨て石にされた」と言うのですから、
戦後の洗脳教育は、事実を隠蔽してしまいました。
その百済から、日本に帰化したのが、秦氏です。
秦の始皇帝の末裔と言われる人々ですが、
日本にやって来て、松尾大社、伏見稲荷大社を建てました。
つまり、百済にも神道はあったわけです。
ところが、百済が滅亡したために、
朝鮮半島から、日本色が消えてしまったのですね。
それでも、済州島には、日本と同じく「海女」がいるし、
「王は東(日本)からやって来た」という伝説が残っています。
済州島以南の朝鮮は、昔は、日本人が住んでいて、
支那では、南朝鮮と日本を「倭国」と呼んだのでした。
1980年以降、朝鮮半島南西部から、
日本と同じ前方後円墳が次々と発見されました。
「何でも朝鮮がルーツ」と言いたい韓国では、
発掘調査が始められますが、
日本のものより新しいとわかって、すぐに埋めてしまいます。
「王は東からやって来た」とは認めたくなかったんですね。
私、菅野も、「すがの」と読む限り、百済ルーツかも知れません。
有名な「蘇我氏」も、「蘇我」の前は「すが」だったようで、
「蘇我入鹿」は「聖徳太子」だったと言う人もいて(関裕二氏)、
保守派の物部氏とともに、改革派の蘇我氏は、
日本の建国のために努力したようですな。
たぶん、菅野家の先祖も、百済出身の改革派かなあと…。
ともかくも、
「日本を建てあげようよ。批判ばかりじゃ、いけないよ。」
と言って、その牧師との電話を終えた次第です。
3時間ぐらい…あんまり、実りある会話じゃなかったなあ。
どうしてこんなに、日本を悪く言う人ばかりなんだろうか。
「日本が嫌なら、中国に行くとか、北朝鮮に行ったらどう。」
と、思わず、お薦めしてしまいました。
私は…コウモリでさえ、かわいい、日本が好きだ!!