2017年8月4日金曜日

憲法を書いたシロタさん







 ベアテ・シロタ・ゴードンは、有名なピアニスト、レオ・シロタの娘さんです。ロシア系ユダヤ人で、幾人かの親族をナチスによるホロコーストで失っています。
 ウイーンで生まれ、少女時代を日本で過ごし、日本を愛するようになりますが、日本女性が封建的な社会の中で差別されていると感じます。アメリカ留学中に、大東和戦争が始まります。
 日本の両親と連絡が取れなくなり、自活生活をしますが、日本語ができるので、日本の短波放送を英語に翻訳する仕事をしました。卒業後、米軍情報部で、日本向け宣伝放送の原稿作成に従事、その後、タイム誌の外国部の調査員になります。
 日本の両親と再会したく、対日占領政策の委員となり、GHQの民間人要員として、日本に赴任。三日間の休暇をもらって、軽井沢の両親と再会、食料の調達もできるようになりました。

 両親との再会が、1945年のクリスマスでした。その後、民政局員25人に、「秘密裏に、一週間で、日本国憲法の草案を作るように」という命令が下ります。シロタにチャンスが訪れました。
 彼女は、ユダヤ人の迫害を知っています。日本の女性が、カースト制度のような差別の中にあることも知っています。何とか、日本の女性を守りたい、という若者らしい正義感が生まれます。
 「ほんとうに日本人、特に、日本女性を愛してくれたんだ」ということが、この本を読むとよくわかります。週末には、何人のもの若者からデートの申込みがある、楽しい盛りでした。
 彼女は「人権」小委員会に属して、一週間の奮闘をします。彼女の草案は、「男女平等」を強く主張するものでした。実際、この憲法のおかげで、東大に女性が入ることができるようになります。
 しかし、上司のケーディス大佐は、彼女の草案の多くを採用しませんでした。「憲法は民法ではないから」というのが理由でした。「憲法は大筋を書くもの」であったからです。
 
 アメリカが日本の憲法を作ることは国際法違反でした。「日本人が書いた」という体裁をとるために、マッカーサーが大筋を作り、民政委員が草案を作り、日本政府に承諾を取らせます。 
 それは、天皇をオーストラリヤなどが軍事裁判にかけたがっており、それを許すと、日本の国が壊れるという、マッカーサーの判断があったようです。天皇は、日本の国体そのものでした。
 しかし、1949年には、「日本政治の再構築」という報告書が出て、日本国憲法がアメリカ製であることがバレてしまいます。しかし、民政委員は、最初の「秘密裏」を守り続けました。
  シロタも、「自分が日本国憲法の女性の人権の項を書いたの」と言いたい思いがありましたが、日本では「憲法改正」が言われ始めていました。「22歳の小娘が作った憲法なんて…」と言われるのも嫌で、口を閉ざしたのでした。
 
 一週間の突貫工事にしては、民政委員はよく頑張った、と思います。当時の人々は、世界大戦を終えて、「もう二度と、戦争はしたくない」と思っていました。世界平和を望んでいました。
 それで、ソ連の法律などを参考に、平和憲法の平和主義を作りますが、私は、スターリンのソ連ほど、自国民を何千万と殺戮していますから、平和と言っても「字面」だけの嘘だと思います。
 それでも、シロタさんは、帰国後、アメリカに日本の文化を紹介する働きを良くしました。理想主義で、左翼的な人ですけれど、口先だけじゃなく、日本を愛してくれました。
 ですから、日本を愛してくれたシロタさんと、その人権項目には、ほんとうに感謝すべきだと思います。シロタさんが今生きていれば、「日本人のためになるならば、憲法をもっと良くして」と言うだろうと思います。
 この本を読んで良かったと思います。シロタさんは若かったし、理想主義に燃えていて、その後の戦争ばかりの世界を想像もできないぐらい、平和な世界が来ると思っていました。
 けれども、実際は、政治の世界は、利権を求めて戦争を止めません。彼女は、芸術による国際交流に、平和の道を求めました。私たちは、福音宣教に平和の道を求めます。
 やり方は違うけれども、「日本人を愛する」ということでは、シロタさんと同じです。今の左翼は、ただ壊すことしか考えていませんが、日本人を愛してほしい、と思いました。