2017年11月3日金曜日
天皇の平和、九条の平和
小川榮太郎「天皇の平和、九条の平和―安倍時代の論点―」を読みました。日本人は、「平和とを尊び、性善説に立つ」民族ですが、いつの間にか、それを「憲法九条」に置き換えてしまいました。憲法九条は、「殺されても仕方がないから、あきらめろ」という趣旨の法律なので、隣国に、日本に対する「悪意」を持つ国が三つもある場合、日本の存続そのものが困難になって来ます。
日本の平和の鍵になるのが「天皇」で、憲法の初めの部分を占めています。天皇の歴史は、四つの時代を経て今に至っています。まず、①古代天皇―仁徳天皇の逸話にあるように、「民安かれという心で、民とともにある天皇」「心の優しい天皇」という、素朴な在り方をなさっていた時代です。次に、②文化天皇―平安時代から武家政権の日本まで、天皇家は受難の千年間を過ごしますが、「世の中を正常に戻す」という使命のもとに、祈りのシステムを完成しました。
さらに、③君主天皇―明治憲法下で、「いてくださるだけで尊い天皇」という人格的な権威としての天皇で、契沖や本居宣長らが、水戸学、国学のもとに築いた「尊王思想」によって、日本の中心にいます「君主」となりました。そして最後に、④象徴天皇―今の天皇は、憲法のもとにある、「権力を持たない、理念としての権威」をお持ちになる、日本国のシンボルであられます。
象徴天皇が生まれたのは、GHQによる「天皇の弱体化」政策によりました。それは、①天皇の神格の否定、②皇室財産の没収、③華族、貴族の解体による皇室の縮小、④宮内省の解体、⑤天皇の地位の法的な保障のはく奪、を行いました。しかし、①は難しく、日本国民は、天皇を「神さまのように尊敬」しています。それで、地位を低め、皇族を減らし、財産を奪うことになりました。
天皇家に生まれる子どもは、女の子が9人続いたこともあり、悠仁殿下がお生まれになって、やっと後継者が細い糸でつながります。125代続いた天皇の血筋は、途切れそうになっています。かつて、道鏡という男が、称徳天皇に「道鏡が皇位につくべし」という宣託を示して、天皇になろうとしたことがありました(宇佐美八幡宮神託事件)。しかし、称徳天皇が神託を退けて、事なきを得ました。天皇の地位を悪用し、権力を握ろうとすることは、「男系」の血筋が守ってきました。
昭和天皇は、「君臨すれど、統治せず」の原則を守ってきました。平安時代以降、天皇が実権を持ったことはありませんでした。明治天皇が「大元帥」となられたのも、日本人の中に、「天皇は日本人全体の家長である」という共通の思いがあったからでした。しかし、この「天皇家」そのものの存続が問われている…今上天皇は、「高齢化社会となった今、譲位の制度を確立しなければならない」という思いで、談話を発表し、マスコミは「生前退位」と、酷い言葉で報道しました。
今の日本は、平均寿命が80歳という、あり得ない社会となりました。昭和初期まで、日本人の平均寿命が50歳を超えたことはありませんでした。それは、元気な時代が80年続くのではなく、寝たきりで10年、20年と人が生きる介護の時代の到来でした。天皇は激務です。日本と世界の安寧を祈り、微笑みを絶やさず、自らは威厳を持ち、世界の中でも最も尊敬される「天皇像」を、昭和と平成の天皇で築いてきました。祈りを通じて、天皇と民(アジアの人々も)は、溶け合っていました。
天皇は民を信じました。昭和天皇は、敗戦のご聖断の中で、「自分はいかになろうとも、万民の命を助けたい。この上戦争を続けては、結局、我が国は全く焦土となり、万民に、これ以上苦悩を嘗めさせることは、私としては実に忍び難い。相宗の霊にお答えできない」と語りました。日本は降伏して大丈夫でしょうか、という問いに、「私は(日本人を)信じている」とお答えになりました。
今上天皇も、「これからも皇室が、どのような時にも国民とともにあり、相たずさえて、この国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが、常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話いたしました。」と、その談話を閉じました。天皇が民を信じ、民が天皇を信じる―それが、日本の国体です。君が代とともに、日本が栄えますように。
次に、日本の平和を壊すのが、日本国憲法です。この憲法は、日本について無知な、憲法の専門家でもない、敵国の数人が七日間で起草した「敗戦文書」でした。日本の復讐を恐れる敵国が、「不戦の強制」を行ったものでした。憲法を守れという護憲派は共産主義者で、彼らは、世界史上最も大量の自国民の殺害を行った者たちです。その共産主義の世界組織、コミンテルンの日本支部が、日本共産党です。今も、日本の平和を破壊するために、憲法を守れと叫んでいます。
憲法九条は、パリ不戦条約と国連憲章をつなぎ合わせ、「永久に」という懲罰的な一言を付け加えた文章です。
「締結国は国際紛争解決のため戦争に訴えることを非とし、かつ、その相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言する」(パリ不戦条約第一条)
「すべての加盟国はその国際関係において、武力による威嚇、または武力の行使をいかなる国の領土保全、または政治的独立に対するものも、また国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも、慎まなければならない」(国連憲章第2条4)
これを合わせると、
「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動による戦争と、武力による威嚇、または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」(憲法九条1)
と、ツギハギになるわけです。ツギハギなので、もとになっている国連憲章を読んで、
「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して、武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が、国際の平和及び安全の維持に必要な措置を取るまでの間、個別的、または集団的自衛の固有の権利を害するものではない」(国連憲章第51条)
となっていることを無視すべきではありません。国際法は、侵略戦争を禁じているのであって、自衛を禁じてはおらず、個別的、集団的自衛権を認めているのです。しかし、日本の憲法学者は、「国際法の解釈にとらわれるべきではない」と、このような文脈を無視します。そして、「武力行使はいけない」だけを主張するので、自衛隊の海外活動は、生命を脅かすほど危険になっています。「ともかくダメ」では話にならず、そのために死ななければならない人には残酷なだけです。
憲法九条の2は、マッカーサーの原案では、「交戦の権利を、日本の戦力には、決して与えない」となっていました。「戦うことは許さない。黙って死ね。」ということですが、それが、
「前項の目的を達するため、陸海空軍、その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」(憲法九条2)
となっています。「交戦権」という言葉自体、国際法にありませんが、それは、自分の命を守るために戦うことは、自分の命を守るために水を飲み、空気を吸うのと同じことなので、「当然の権利」だからです。「命を守ってはならない」という言葉は、国際法にはないのです。しかし、日本の防衛白書には、日本は「専守防衛」、「他国に脅威を与えない」と、あり得ないことが書いてあります。
強盗が家を襲おうとやって来た時に、警察は呼ばない、鍵はかけない、「やめろ!」とは言わない、強盗の側に、なされるがままになるだけで、家を守るんだといったそぶりも見せてはならない、と言っているのです。これが、バイデン元副大統領が、「日本を核武装させないためにアメリカが書いた」という憲法の正体ですが、いいえ、これこそが、共産主義者による日本の全滅をはかった文章だとわかるはずです。
かくして、日本は弾道ミサイルを持たない、爆撃機も持たない、空母もない、自衛能力を持たない国となって、日米安保によってアメリカに守ってもらうしかない、情けない国になってしまいました。アメリカにばかりに守ってもらうわけにはいかないと、自衛力をつけようと言うと、東大の憲法学者、岩波・朝日・マスコミ、そして共産党がタッグを組んで、「軍国主義だ」「戦前回帰だ」「暗黒社会だ」と、偽りの「平和」の名のもとに、70年間、憲法を論じることさえ封殺して来ました。
「日本には自衛する力があるのか」―それを話すこと自体、悪とされて来ました。そして、自民党も反対勢力に対して、正面から堂々と、憲法を論じることもありませんでした。安倍首相が現われ、改憲を掲げて、目標をはっきりと明言するまで、だれひとり、「日本には自衛する力がない」という危機的な状況…アメリカが守ってくれなければ、北朝鮮にも中国にも、すぐにでも滅ぼされるのだということを、隠し続けて、言葉遊び、空論を繰り広げて来たのです。
愚かになってしまった、日本人と日本人の政治家たち。首相が「改憲」を口にしたことで、マスコミは総力を挙げて、安倍叩きを始め、倒閣運動に乗り出しました。「森友・加計」問題をでっちあげました。国会では、籠池夫妻が証言しましたが、詐欺師だと分かって逮捕されました。汚職で首になった前川氏が「忖度だ」と攻撃しましたが、前愛媛県知事の加戸氏が証人となって、首相に何の落ち度もないことが明白になりました。すべて、前川氏の思い込み、恨み節でした。
ところが、マスコミは、間違いが明白になった前川氏の訴えを、9時間の国会審議の中の2時間半を費やして報道し、その間違いを明白にした加古氏の証言を、6分しか報道しませんでした。嘘を2時間半流し、真実を6分しか流さない…前川氏の「首相によって行政がゆがめられた」が2時間半、加古氏の「首相によってゆがめられた行政が正された」が6分…NHKも、朝日新聞も、このような極端な偏向報道を行い、ネットで真実を知っている人々の怒りを買いました。
天皇による平和ではなく、憲法による平和…コミンテルンの工作に従って、日本を日本人の手から奪い取る勢力は、手段を選ばなくなってきました。テレビや新聞、マスコミが、改憲を妨げるためならば、どんな手段でも使うという「全体主義」の様相を呈して来ました。放送法では、放送は①政治的に公平、②真実を曲げない、③多くの角度から論点を明らかにする、となっていますが、未だに、国民の85%の支持を得た改憲派ではなく、15%の支持しか得られなかった護憲派の政党を応援する報道を流しづつけています。公然と、法を破っているのです。
政治家は愚かになりました。民進党は、全会一致で、希望の党に入る決定をしました。けれども、希望の党の側から拒否されそうになると、衆議院が解散した後で、議員資格もないのに、立憲民主党という党が立ち上がりました。党本部もない、何の実績もない、違法じゃないかと言われるような党の結成でした。希望の党に入った議員は、安保反対も、護憲も捨てて入党しました。希望の党が伸びないと、また安保反対、護憲に戻る議員も現れます。なくなったはずの民進党が、また現れました。就職できればなんでもいい、年俸四千万を狙うサラリーマンの就職活動が、野党の総選挙でした。「こんな私利私欲の人間どもに国を任せられるか」と多くの人は怒りました。
安倍政権は、野党の政治家たちが、国民受けをするようにとテレビ映りばかりを気にしていたのと違って、国民受けすることを拒否しました。マスコミが潰そうとした案件、歴代政権がずっと棚上げにして来た案件を、次々に通してきました。①特定秘密保護法―自衛隊員が国家機密を売りさばかないようにしました。②安保法案―アメリカの協力のもと、日本人の生命と財産を守ろうとしました。③テロ等、準備罪―日本国家を転覆しようとする勢力の資金源を閉ざして、テロ活動を難しくしました。そして、④敗戦国という呪詛から国民を救い、自信を持たせ、経済的に安定した国としました。国民のご機嫌を取って、「安倍嫌い」と叫んでいるだけの野党とは違いました。
総理は、国民受けを求めませんでしたし、マスコミの手の内で踊らされることもありませんでした。けれども、政策決定のたびごとに、総理自ら、国民に会見で説明することは怠りませんでした。このような強い首相は、第一次安倍政権の失敗と、その後の悔い改め、やり直し…そして、試練によって強くなった、安倍氏の変化によるものです。ですから、ポスト安倍が難しいのです。自民党の中に、安倍氏のように、戦って戦って、困難の中から立ち上がった人が少ないからです。「失敗をして、そこから立ち上がった」安倍氏は、その意味で、復活の力を持っているのです。
第二次安倍政権の業績は、あまりに多くて、しかもまだ、これからもたくさんの仕事が成し遂げられていくでしょうから、将来、日本が生んだ最高の首相として、いつの日かまとめられるでしょう。その業績のひとつは、「70年談話」でしょう。テレビで談話を聞いていた、榮太郎氏の奥様が、「英霊がほんとうに喜んでいる」と涙したそうです。安倍氏は、日本がどうして、大東亜戦争という戦争をしたのか、歴史の流れをはっきりと語って、私たちの祖父たちが「侵略戦争をした」などという、誹謗中傷を払しょくしてくれました。先人の栄誉、日本の名誉を守ってくれました。
「侵略」(aggression)という言葉は、「侵攻」(invasion)といった軍隊用語とは全く違っていて、「ナチスのホロコーストに匹敵する戦争犯罪を行った」という意味です。それは、極めて悪質な「戦争犯罪」(war crime)を指しています。その悪質な「戦争犯罪」という言葉を、日本の学者は、「戦争責任」と訳し変えました。そして、多くの国民が、「日本はよその国に出かけて行って、侵略をしたのだから、責任はある。悪いところは素直に認めよう。」と言いますが、それは相手の国にとっては、「極めて悪質な戦争犯罪を行ったのだから、このような国は徹底的に滅ぼすべきである」という意味になっています。当然、ミサイルで海に沈めようとなるのです。侵略、戦争責任の相手国への意味はそうです。日本人の「自分も悪かった」は、相手側には全く通じない言葉なのです。
日本人自ら、死刑に値する戦争犯罪国家であると認めるのですから、赦し難い「侵略国」に対しては、「南京大虐殺」とか、「従軍慰安婦」とか、どんな嘘をついてもいいわけです。 「自分たちは大犯罪人です、生きている価値のない国民です、煮ても焼いても結構です」と言うのですから、好き勝手をやっていいわけです。けれども、大東亜戦争は、そのような犯罪ではありませんでした。「父親は悪人だ、私も子どもたちも、どうぞ殺してください」と言うのは少し待って、「真実」を見てほしいのです。「私は悪人です、生きる価値がありません」と言っても、相手は赦しはしません。詫びる前に、そして、ミサイルが撃ち込まれる前に、「真実」を見てほしいのです。
大東亜戦争は、①対支那戦争、②対米戦争、③対植民地(英・米・蘭)戦争、④対ソ戦争、の四つでした。①の戦争は、満州事変と支那事変に分かれます。満州事変は、ロシアが南下する中で、力の空白地帯を先取するために行われました。満州は「五族協和」の理念で建国されましたが、パリ不戦条約の締結直後で、タイミングは最悪でした。それでも、リットン調査団とうまくやっていれば、国際承認もとれたかもしれません。「侵攻」しましたが、その後の策はありませんでした。
支那事変は、中国の指導者の内部紛争があり、日本とアメリカの利権のにらみ合いがあり、コミンテルンによる中国の赤化工作があり、複雑な状況下で起きました。昭和11年に、蒋介石が張学良に拘束されて、反共から反日に転向したため、日本の孤立を招きました。アジアの多くの国で、日本軍は評判が良かったのですが、評判の悪い地域がありました。それは、その地域の日本軍が、規律が取れていなかったためです。中国の日本軍は、あまり評判が良くなかったのです。
アメリカとの戦争は、支那事変での利権の対立が続いている中で起きました。日本もアメリカも、中国・アジアの資源を必要としていました。アメリカは、蒋介石に資金を送り、日本と戦わせました。ソ連は毛沢東に資金を送り、日本と戦わせました。蒋介石も毛沢東も、ソ連とアメリカの代理戦争を、「反日」の旗のもとに戦いました。ついに、日本は真珠湾を攻撃し、日米戦争となりますが、アメリカは大きくなる日本を叩きたく、日本も大きくなるアメリカを叩いておきたかった。両国にとって、日米戦争は「予防戦争」「自衛戦争」でした。そして、アメリカは大きくなり、日本は小さくなりました。
アジアでの大東亜戦争は、アジアとの戦いではなく、アジアを植民地として支配している、欧米の白人たちとの戦いでした。戦争中に植民地から独立した国もあり、戦争後は、すべての国が白人の支配から独立しました。 日本の目的も、アジアの植民地化ではなく、自由貿易ができる国として、アジアの国々に独立してもらうことでした。そうすれば、日本は資源を買うことができ、日本も平和を得ることができるはずでした。対ソ戦争は、ソ連が不可侵条約を破棄して参戦してきたもので、チャーチルとルーズベルトが、ソ連と密約を結び、参戦させたものでした。
その後、アメリカの脅威は、ソ連と中国になります。ソ連のめちゃくちゃな大量殺人から、人権を重んじるアメリカは国民の命を守らなければなりません。共産主義と民主主義の「境界線」となったのが日本でした。日本は東西冷戦の「絶対防衛圏」となりました。朝鮮戦争では、日本の海上自衛隊も参戦し、戦死者も出ています。沖縄は、非核三原則の名目とは別に、原子力潜水艦の基地となりました。しかし、ソ連が崩壊し、冷戦が終わり、今は、中国が覇権を握るようになりました。アメリカは、日本が民主党の時には中国側につき、安倍政権になると日本側につきました。結局、強い側についてバランスを保つのです。安倍内閣が強いので、トランプ氏は日本を選びました。
戦後70年の安倍談話は、「侵略をした」と言われ続けた歴史観を覆し、公正な目で世界史を概観し、日本の戦争を世界史の中で位置づけることで、誹謗中傷の根拠を奪った、画期的なものでした。それまでの70年間、戦勝国のアメリカも、共産主義国のコミンテルンも、「日本は狂信的な軍部の暴走によって、無謀な戦争に突入した」と、誤った歴史観を日本人に植え付けてきました。安倍首相は、「新しい国際秩序への挑戦」「謝罪の負い目を次世代に負わせない」として、日本をただ侮辱し続けたい人々から、明るい日本の未来を取り戻そうとしました。アメリカを始め、世界中の国国が安倍談話を支持しました。憎悪を向けて来たのは、中国と韓国と北朝鮮と朝日新聞でした。
「世界恐慌が発生し、欧米諸国が植民地経済を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は孤立感を深め、外交的・経済的行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたり得なかった。こうして日本は、世界の大勢を見失っていきました。満州事変、そして国際連盟からの脱退…日本は次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした、新しい国際秩序の挑戦者となっていった。進むべき進路を誤り、戦争への道を進んでしまった。そして、70年前、日本は敗戦しました。」
「戦後70年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深くこうべをたれ、痛惜の念を表すとともに、永劫の哀悼の意をささげます」(70年談話、安倍晋三)
こうして、村山談話が行ってしまった、日本を破壊するような仕業を無効としました。また、安倍首相は、日本の右翼、保守勢力に与することもなく、ただひとりで、歴史の真実を明らかにして、きちんと反省もし、 未来への道も切り開いて、圧勝したのでした。
ただ、岸田外務大臣を遣わして行った「日韓合意」だけは、大きな失策でした。何の落ち度もなかったのに、ありもしない従軍慰安婦問題を認めて、謝罪する形になってしまいました。日本語で「苦痛を与えた」(painful)と言い、「癒し難い傷を負わせた」(incurable)と表現された言葉が、英語では、売春を認めたどころか、残虐な行為を行った印象を世界に与えました。合意自体は必要だとしても、その「文言」は間違っていました。安倍首相は、言葉をちゃんとチェックしたのか、その責任を問われています。河野談話が認められ、嘘を追認した形となってしまいました。
今日は明治節です。明治天皇は、賢く、また日本を心から愛する君主として、明治憲法のもとにおける平和の礎を築いてくださいました。日本の平和は、この天皇の平和として、2677年間続いてきました。その土台の上に、キリストの福音を築くならば、日本はいかに平和な国家となることでしょうか。しかし、コミンテルンの工作である日本国憲法が、特に九条が、日本を奈落の底に引きずり込もうとしています。改憲派が日本人の多数を占め、皇室が確立しようとする今こそ、日本のほんとうの平和を取り戻したいものです。
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