2017年10月19日木曜日
儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇
ケント・ギルバートの「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」を読みました。ケントさんは、武士道に憧れを持っていた日本の庶民が、人格形成の教科書のように「論語」を学んだ日本人の読み方と、儒教を絶対視しながら、そこから「徳」ではなく、「覇権主義」「中華思想」を生み出した中国人、あるいは韓国人の読み方とは、全く違ったものとなった、と分析しています。儒教からお人好しになってしまった日本人と、狡猾さを学んだ中韓とは、対極にあったのです。
1960年に始まる文化大革命は、1973年からは、「孔子は封建的な思想の持ち主で、大悪人である」という「批林批孔運動」となります。それは共産党内における権力闘争でしたが、「仁・義・礼・智・信」を重んじる孔子の教えは、拝金主義にとって代わります。世界の頂点にある中国は、お金の力で、野蛮な周辺諸国を征服するのです。習近平が、「中華民族の偉大な復興という中国の夢を成し遂げる」と、国家主席への就任演説で語った通りに、です。
中国を秦が統一した時代に、始皇帝は「焚書坑儒」を行い、460人の儒教の学者を生き埋めにして殺し、儒教の本を燃やして、「道教」という単純な汎神論を国教としました。しかし、漢民族である劉邦が秦を滅ぼすと、為政者たちは敬礼威儀を重んじる儒教を重んじるようになり、漢の末期には王莽が、偽善をごまかすような形で儒教を使い、北周の武帝になって、574年に、三教(仏、儒、道)の中から、儒教が国教として正式に採用されます。それが、儒教の完全復活でした。
中国の儒教は、「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」のような、日本人のメンタリティーと合うような部分を取ってはいません。そのような「公」に「私」を服させるような考えではなく、「私」の利益のためならば、「公」の法を犯す道を選びます。世界よりも自国、自国よりも共産党、共産党よりも家族、家族よりも個人です。孫文は「中国人は、握れば指の間から落ちる砂のようだ」と言いました。ある番組で、宋文洲が、「中国に国家なんて考えはない」と言った言葉が印象的でした。
チャイニーズドリームとは、わいろを使って地位を得、より多くのわいろをもらう立場になって、そのお金を握って、海外に逃亡する「裸官」になることです。1900年代中期以降、18000人が、10兆3000億円を持って海外に逃げました。中国のわいろは、民進党の玉木議員が獣医学会から100万円をもらって、国会で便宜を払ったようなものではなく、数億円が当たり前の世界です。2008年のわいろは、116兆円で、中国のGDPの三割を占めます。わいろが当たり前の世界です。
日本は漁業資源を守るために、漁獲高の制限を設けたり、幼魚をリリースするといった、将来を見据えた配慮をしますが、中国にはそのような配慮はありません。むしろ、14億人の胃袋を満たすためには、手あたり次第の乱獲を続けるので、海洋資源が枯渇しようとしています。 年間100万人が死ぬという中国の大気汚染のために、日本は技術援助をしようとするのですが、資金も提供しなければ、煙突を倍の高さにして、日本の大気汚染を倍にすると脅してきます。工場排水もひどく、「癌村」と呼ばれる村が247か所あって、奇形や身体欠損で生まれる子供は、年間90万に及びます(2013年)。自分さえよければいいは、中国の人民を苦しめています。
このような中国の覇権主義と戦ったのは、聖徳太子で、隋の煬帝に、「日出処の天子、書を、日没する処の天子に致す。つつがなきや。」と書を送ったのは、中国と対等の関係を求める決意表明でした。しかし、第二次世界大戦が終わると、蒋介石の中華民国(台湾)は戦勝国となりました。田中角栄が裏切って、中国共産党と組むまでは、中国とは台湾のことでした。けれども、台湾が追われ、大陸の共産党が中国となりました。1947年に生まれた、この新しい中国は、日本と戦ったはずがないのに、戦勝国を名乗りました。そして、1972年の日中国交正常化の時に、存在しない「日本への賠償請求権」を破棄する代わりに、ODA(政府開発援助)を求めたのです。
日本は、1979年以降、3兆円を超すODAを中国に支払ってきました。中国は感謝するどころか、それを当たり前の貢物と受け取り、軍備の増強に充ててきました。それが今の中国の日本への脅威となりました。日本の企業が中国に進出し、お金を落としてきたこともあります。日中友好協力会の丹羽宇一郎は、伊藤忠の社長だった時に、「将来は中国の時代がやってきます。日本は中国の属国として生きればいいのです。それが、日本が幸福、かつ安全に生きる道です。」と語っています。そのように、日中友好の名のもとに、企業は国を売るようなことをして来ました。
中国の皇帝は、徳を失えば天は王朝を見限り、革命となるという「易姓革命」を信じていたので、自らを正統な王とするために、歴史の改ざんを行ってきました。 この「天命」の考えとともに、中国は「霊の不滅」を信じていました。死ぬと、人の霊は体から離れ、永遠に存在するというのです。それが先祖崇拝の理由でしたが、同時に、敵の霊がもう一度肉体に帰らないために、前の王朝の墓を暴き、死体を爆破することもしました。それで、かつての敵国であった日本の英雄を、「A級戦犯」とし、処刑し、永遠に赦さない、としたのです。「小中華」として、それにならう韓国も、「千年赦さない」と、朴槿恵が言っています。中国に赦しはないのです。
日本人は、輪廻を信じますから、死んだ人は罪から解放されている、と信じています。1953年の8月3日には、衆参両議院が満場一致で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を採択しました。つまり、A級もB級も、日本には「戦犯」という考えはないのです。すべての戦争犯罪は恩赦を受け、犯罪者はいなくなりました。それを、戦犯だの、合祀だのいちゃもんをつけるのは、決して人を赦すことがない、中韓の思想によるものです。
韓国は、ベトナムなどのアジア諸国とは違って、「小中華」となって、中国にすり寄る道を選びました。日韓併合は、西洋列強を恐れた韓国が日本に懇願してきたもので、併合後日本は、60兆円を超える投資を韓国に行い、インフラ整備を行ってきました。戦後は、1965年に日韓合意を行い、日本が取り戻してもよい投資を、請求権を放棄するとするばかりか、独立祝い金として、韓国の国家予算の倍の援助を行いました。これは戦後の韓国の民の個人補償でしたが、韓国政府は約束した通りには使わず、国の経済に回して、その回復は「漢江(はんがん)の奇跡」と呼ばれました。
その後も、2006年と2008年の経済危機に、日本は韓国に、それぞれ2兆円と3兆円の経済援助を行いました。韓国は、日本を見下すために、嘘の歴史を中国同様、作っていました。李承晩が率いる「韓国光復軍」が日本軍と戦って、戦勝国となったというのです。その時、李承晩はハワイに住んでいて、戦ってなどいませんでした。サンフランシスコ平和条約に、李承晩が参加したいと申し出ると、連合国は断りました。「お前は戦勝国ではない」と。戦後の日本でも、韓国人が、「自分たちは戦勝国だ」と日本人に乱暴を働くのを、GHQは止めて言いました。「お前は戦勝国ではない」と。
朝鮮人は、戦時中は、朝鮮半島出身の日本人でした。日韓併合で、日本人となっていたのです。彼らは、日本軍人になることを憧れ、兵役試験に落ちると、自殺する者もあったぐらいです。そのような彼らが、日本の敗戦とともに寝返りました。伊藤博文を殺した犯罪者、安重根を英雄としました。実際は、安重根は、明治天皇を崇拝する人で、伊藤博文を殺したのは、「明治天皇に大御心に逆らう逆臣」と勘違いしたからでした。伊藤は、日韓併合には反対でしたが、韓国の皇太子の日本留学のお世話をするなど、韓国のために尽くした人でした。これは嘘よりも誤解です。
日本では、「嘘つきのは泥棒の始まり」と言いますが、韓国では「嘘も上手につけば、稲田千坪にも優る」と言われて、嘘や虚言が奨励される社会です。2005年に、日本独自の古墳である前方後円墳がソウルで発見されました。韓国は、「日本は朝鮮の文化を伝えられて良くなった、朝鮮よりも劣った民族だ」と信じていたので、さっそく発掘を始めました。ところが、日本のものよりも後代のもので、中に埋葬されているのが日本人だと分かると、困ってしまいます。「日本の文化が朝鮮に伝わって、朝鮮は良くなった」という、現代の説と同じになってしまいます。
だいたい、日本人がなんでも良いものを作って、そのコピーを韓国や中国が真似ているのは、今も昔も変わらないのです。それで韓国は、「これは朝鮮の豪族に仕えていた日本人家臣の墓だ」と発表をしたのですが、なぜ、朝鮮のご主人がいたとしても、こんなにも大きな立派なお墓を作ってもらえたのか、説明ができません。それで、その前方後円墳は、もう一度埋められてしまいました。中韓は、何かにつけ、「自分たちは日本人よりも優れている」と言いたがります。「和の国」の「和」を、「倭人」とするのは、「倭」に「小さい」意味があって、軽蔑して言っているのです。
日本人は、実に優れた民族です。 「仁・義・礼・智・信」を重んじる孔子の教えを、庶民の武士道として受け入れた、高潔な道徳心を持った民族です。ハワイの真珠湾には、日本軍、日本兵の尊敬を記した、たくさんの記念館があります。戦艦ミズーリの記念館には、19歳の特攻隊員の記念プレートがあります。ミズーリに特攻し、胴体が甲板に転がった彼を、アメリカの兵士が蹴りつけると、ミズーリの艦長は、「彼は英雄だ。私たちと同じように戦って死んだのだ。」と、彼のために日章旗を作らせ、翌日、それに丁寧に包んで、アメリカ海軍葬としたのでした。「私たちはここで、お互いに、勇敢に戦った」―米軍の誇りが、このような勇敢な日本軍と戦えたことにあったのです。
2016年の12月に、安倍首相はハワイの真珠湾を訪れ、8日には、初めての日米の合同の慰霊祭を行いました。聖書には、「あなたの敵を愛しなさい」と書かれています。それがわかるのは、アメリカと、かつての日本でした。中国では、敵を憎んで復讐するのに、敵が死んでいたので、墓を暴いて、死体を300回鞭打つ、という故事があります。「死者を鞭打つ」とは、ここから始まった、中国の伝統です。しかし、アメリカには「敵を愛せよ」の聖書があり、日本にも、「和を以て貴しとなす」、寛容の精神がありました。それが精化した「武士道」がありました。徳の儒教がありました。
ウズベキスタンは、ソ連の日本人捕虜の抑留地となりました。強制収容所で働く日本の兵隊を指して、ある母親が「見なさい。あの日本の兵隊さんを。ソ連軍が監視していなくても、あのように働く。あなたも、こんな人になりなさい。」と、その息子に言います。その子はやがて工員となって働き、ウズベキスタンの大統領となりました。「あの日本人のおかげだ」と言ったそうです。日本人が建てた建物は丈夫で、ナヴォイ劇場は、1966年の大地震にもびくともしませんでした。「日本の捕虜が建てた」と記念のプレートを作ろうとしたときに、大統領は、「われわれは日本人を捕虜にしたことなどない。日本国民としなさい。」と命じたのでした。ソ連の弾圧の中でも、彼らは今も、日本人の捕虜の墓を守り続けています。世界が尊敬してやまないのは、かつての日本人でした。
「かつての日本人…」そうです、戦後日本人は大きく変わってしまいました。「他人をおもんばかる」とか、「空気を読む」とか、「寛容さを示す」ということは、今では、忖度という良いものなのに、悪事のように言われる時代になってしまいました。 台湾で、新渡戸稲造の記念会が、今でも台湾人によって行われています。出席した日本人が、「かつて日本人は、あなたがたに酷いことをした」と詫びると、「いや、戦前、戦中の日本人は、ほんとうに私たちを助けてくれた。酷いことをしたのは、戦後のあなたたちだ。」と言われたそうです。戦前の日本が悪いなどと言う日本人こそ、酷い人間たちです。だいたい、父祖を敬えない人間が、ほんとに日本人のなのか、と思います。
けれども、これは米国が日本に対して行った、WGIP(ウォー・ギルティ・インフォメーション・プログラム)によるものなのです。心ある日本人を戦犯として殺し、公職追放し、高潔な道徳心を一掃することにしました。「国に忠誠を尽くすことは、非民主主義的な、非人間的な、ファシズムなのだ。愛国心は悪である。」―目上の人を敬うことができない、祖国に誇りを持つことができない、恥ずべき人間とすることで、日本人を滅ぼそうとしたのです。中国のような、韓国のような、自分のことしか考えない、武士道も儒教の道徳も失なった、自虐的で卑屈な人間として、滅ぼそうと…。
しかし、2008年、四川大地震の時に、日本の救援隊は、ビルのがれきの中から、母子の遺体を収容し、黙とうを捧げました。搬送車で搬送されるときには、敬礼をして見送りました。中国人は、テレビで、見たことのない人間の姿を見ました。反中感情が、どうしても日本人の中に生まれてくる時期でした。そんな折に、日本からは多くの義援金が届きます。「自分よりも他人を優先する」「他人をおもんばかる」―まだ、日本人の中には、「かつての日本人」が残っているのです。今は、こんな日本人になってしまいましたが、戦前、戦中の日本人、世界が尊敬する日本人は、まだ、私たちの中から消えていない…希望を失ってはなりません。
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