2017年10月13日金曜日

チャイナ・インベイジョン






 柴田哲孝の「チャイナ・インベイジョン」(中国日本侵蝕)を読みました。2012年11月の出版で、その後、安倍政権が12月に誕生、中国の野望は延期となりましたが、民主党のままだったら、このような形で日本が中国の一部となっていたと思われます。ノンフィクション作家の警鐘の本です。

 自民党の中川昭一議員は、「日本が危ない」と言い続けた国士で、拉致問題でも先頭に立って戦っておりましたが、2009年に死にます。おそらく、父親の中川一郎同様、暗殺されたと噂されています。民主党による友愛(粛清)か、CIAの工作か、尤もらしいのは、中国の工作でしょう。

  当時の民主党は、「アジアと中国の民主主義を考える会」で、今は「世界ウイグル会議」の議長となっているラビア・カーデル女史を講演者として招聘する予定でした。ところが、小沢一郎が民主党議員と訪中すると、圧力を受けて中止にします。それを受け継いだのが、中川昭一の勉強会で、中国のウイグル人への弾圧が明らかになり、中川昭一は人権問題として懸念を表明します。

 中国の少数民族弾圧は、中国のアキレス腱で、ウイグル人を1000万人くらい虐殺して来ました。46回の核実験で、100万人以上が殺されたと言われます。今も弾圧は続いていて、2-3人のウイグル人が集まると射殺され、突然連行されて裁判もなく処刑されます。チベット人は200万人虐殺されましたが、人口が800万の国でしたから、4人に1人が殺されてました。今でも、年間10人ぐらいは、抗議して焼身自殺しています。そのような人権問題を、中国に配慮して、人権主義者たちは全く取り上げなかったわけです。


 けれども、もうひとつ中川昭一が問題としたのは、20年もすれば日本人の領土がなくなるほどのスピードで、中国が日本の土地を買収し始めたことです。中川昭一は、「外国人による土地買収を規制する法案」を国会に提出しようとしていました。「水源地が買われている」とマスコミも報道を始めましたが、柴田哲孝は、「軍事拠点ではないか」という視点から、この著書を書いています。特に自衛隊の基地の半分が北海道ですから、土地の買収も集中しています。しかし、安倍政権、トランプ政権、蔡英文の政権の誕生で、中国は、日本の占領を延ばさざるを得なくなっています。

 中国は、2008年の時点で、東京都の港区に大使館、大阪、福岡、札幌、長崎、名古屋に領事館を持っていました。2009年に沖縄に領事館の土地を売るように求めると、中川昭一は断固反対します。領事館は軍事拠点になりえるからです。それと引き換えに、中国は、新潟に領事館を要求します。この土地は、2011年、震災にまぎれて、1万5千㎡が買収されました。名古屋では、名古屋城の近くに3万㎡が買収されそうになりますが、市民が反対。しかし、東京の麻布では、6千㎡が買収され、皇居、国会議事堂、総理官邸などを、射程距離に収めました。

 2010年に中国は、「国防動員法」を発布、「必要に応じて、組織及び個人の設備施設、交通手段、その他の物資を徴収し、徴用できる」(第48条)としました。その後、中国人が自由に日本に入れるように、「ビザ発給要件」を緩和します。今では、3か月観光ビザで入れば、健康保険が給付され、 1年滞在すれば、本人とその関係者が永住権を持てるまでになっています。土地の買収は、一億㎡ほどが分かっていますが、現実には、その10-100倍と言われています。


 2010年の9月には、尖閣諸島の久場島付近で、中国の漁船が自衛隊の巡視船に衝突する事件が起きました。この船は中国の人民解放軍のものだと分かりますが、当時の民主党政権は、一度逮捕した船長を処分保留のまま釈放し、船長は中国の英雄として帰国します。日本が領土問題で、日本の領土を中国に譲るようになるきっかけとなります。2011年の4月に、石原都知事は尖閣の購入を宣言し、民主党政府は国として購入しますが、ここに「領有権」の問題が始まります。

 もともと尖閣諸島は、所有者のいない島でしたが、1895年に日本領となり、住民が住み、灯台も立てられました。敗戦後、沖縄とともにアメリカ領となりますが、沖縄返還とともに日本に戻って来ました。ところが、1968年に国連の海洋調査で、尖閣諸島が石油と天然ガスの宝庫であることがわかります。その時から、国民党の台湾と、中国とが、「尖閣はわが国固有の領土」と言い始めます。日本政府は、「尖閣に領土問題はない」と逃げたので、問題はどんどん悪化しました。


 中国は、2007年の8月に、アメリカの太平洋空軍司令官に、 「太平洋は、ハワイのあたりで分割し、米軍と人民解放軍が管理することにする」と提案し、親中派の議員は好意的でしたが、国防当局は、「西太平洋の覇権を中国に売り渡すような宥和政策は、大きな間違いだ」と反対しました。その後、習近平も、オバマ大統領に同じような「中国の覇権」を主張しましたが、南沙諸島の基地建設は容認されず、「航行の自由作戦」となりました。中国では、日本はすでに中国の領土と考えられていました。それが、「2050年極東地図」にもはっきりと表れています。

 1972年の日中国交正常化以来、中国は日本の領土化と、日本人の虐殺を国策として来ました。そのために、「南京大虐殺」というでっち上げを日本に認めさせ、中国の民には、いつの日か「東京大虐殺」をもって復讐するのだと、憎しみと戦意を植え続けてきました。 そして、2011年3月、日本は壊滅的な震災に見舞われます。1995年の阪神大震災の1450倍と言う、幅200キロ、長さ500キロの震源を持つという、とてつもない大地震が起きました。

 津波による被害は、死者1万6千人、行方不明者3千人という大規模なものでしたが、避難民9万人の多くは、原発事故の二次被害です(現在)。当時の菅直人首相は、海水の注入を妨害し、事故を拡大させました。海水の注入は、廃炉を覚悟した所長の勇断によるものでした。事故後数時間で、3つの原子炉がメルトダウン(炉心溶融)を起こしましたが、政府もマスコミも、事故の深刻さを隠し続けました。その時の責任者が、責任も問われずに、衆議院選に立候補しているという、おめでたい現実があります。このどさくさ紛れに、麻布の一等地は、60億円で中国に売られました。

 
 2011年、日本の戦闘機が国籍不明の戦闘機の攻撃を受け、ミサイル2発を受けて爆破され、墜落しました。 反撃をしようとする戦闘機に、「防空識別圏内での攻撃は許可できない」と命令が出され、事故は単独事故で処理されます。中国の戦闘機に対するスクランブル発進が、2009年の300回から、400回に迫る勢いでした。今は、年間1168回になりました(2016年)。中国機に違いないと思われながら、何も言えないのが現実でした。

 
 2012年、習近平が中国の最高指導者となります。この本では、その後、中国船が日本の巡視船を攻撃、さらに戦闘機も日本の戦闘機を攻撃、中国側が「日本による無差別攻撃だ」と言って、宣戦布告をします。そして、国防動員法が発動し、軍事基地となった大使館、各領事館、中国に買収された領土から、各地で一斉蜂起が始まります。すでに、数百万人の中国の兵士が潜んでいますから、自衛隊や警察への無差別の攻撃です。日本の警察は、私服を着た中国の兵士を、一般人とみわけられず、混乱します。

 政府は、「協議中、動くな」と命じて、「外交による平和的な解決」を話し合います。テレビもパソコンのもハッキングされ、画面は「日本人殲滅」の一色です。日本のシステムは、すべてダウンしてしまいます。中国側は、「すみやかに降伏すれば、全員の身柄の安全は保障する」と、チベットを無条件降伏させた、お馴染みのアピールをします。そして、占領後、チベット同様、日本国民の多くは虐殺され、平和ボケした時代は、幕を閉じるのでした…。


 しかし、今は民主党政権ではありません。日本の滅亡を願う勢力は、いまだに「安倍打倒」を叫び、「籠池、加計隠しだ」「忖度だ」と、メディアを挙げて、日本侵蝕のシナリオを現実のものとしようと必死になっています。習近平は、この10月に、いよいよ共産党大会で権力を固め、今度こそはと、日本滅亡の総仕上げにかかってきます。そのために、今回、安倍首相は、衆議院を解散し、国民の信を問う選挙としました。安倍が倒れれば日本が地獄と化す、究極の選択となります。


































 






2009年に死にますが、は

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