2017年9月29日金曜日

日本共産党






  筆坂秀世「日本共産党」を読みました。今のキリスト教会が、共産党と同じようになっているので、日本共産党のルーツを探りたいし、キリスト教との違いを見出したいという思いでした。

 筆坂さんは、戦後3年目に生まれて、荒れすさんだ少年時代の後に、自分の存在意義を問い、「生き方を求めて」入党をしました。そういう人は、キリスト教にもいますから、似ています。そして職場の先輩から、民青(日本民主青年同盟)のパンフをもらい、「平和と民主主義の流れに向かう世界の中で、社会を変革し進歩させる、生きがいのある人生」という言葉に惹かれました。

 「反戦と平和」「進歩と平等」―それを実現するための「社会の主人公」にならないか。なるほど、「反戦と平和」「進歩と平等」ならば、自由主義のキリスト教のキャッチフレーズでもありますから、彼もまた、家族の反対を押し切って、その道に入ったのでした。1967年のことでした。当時は、共産党は大躍進の時で、彼は当選した議員の秘書となり、共産党の専従活動員になりました。

 戦後10年して、自由党は民主党と合併して自民党に、右派と左派の社会党も合併して旧社会党になって、「55年体制」と呼ばれる二大政党政治が始まっていました。公明党は、9年後の1964年に結成されます。それに比べて、日本共産党は、戦前からある最古参の政党でした。1922年に、ソ連のレーニンのコミンテルン(共産主義インターナショナル)の日本支部として始まりました。

 非公認の党で、 1933年に常任委員だった宮本顕治は、同志をスパイと間違えて、リンチの上殺していますし、1952年には、札幌市の白鳥警部を射殺していますから、破防法に基づいて、公安が監視する危険暴力組織となっています。今でも、オウム真理教と同じ扱いです。「市民の安全な暮らしを脅かす」組織でしたが、終戦とともに合法化され、「平和主義」を掲げたわけです。

 危険暴力組織なので、治安維持法で監視されていましたが、共産党側からすれば、「弾圧された」となります。このあたりも、戦前のキリスト教の熱狂的な再臨信者が、気が狂っているとキリスト教会からも危険視され、監視されたのと似ています。キリスト教会の中には、いまだに、「弾圧された」と言っている人たちがいます。社会悪は社会から懲らしめられる、と反省してもらいたい。


 それで、共産党は公認の組織となりますが、 「党の決定は無条件に実行しなければならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は党大会と中央委員会に従わなければならない」という規約を持っていました。さすがに、現代に合わないというので、2000年の党大会で改定をして、「民主的な論議を尽くし」としますが、それは建前であって、中央集権的な、また、「軍事的規律に等しい鉄の規律」というものも変わることはありません。

 それでも、「民主集中制」と呼ばれる、形だけは民主的なプロセスは踏みます。二か月かけて、支部で話し合って代表を地区議会に送り、地区議会が話し合って代表を県議会に送り、県議会が話し合って代表を党大会に送る、という「上りの党会議」によって、論議を尽くすと言います。ただし、党会議は常任幹部会が掌握しており、常任幹部会は党首の独裁ですから、どこが民主制かと思います。けれども、党員はふつう、社会を良くしたくて入るので、権力を得たいという党員はいません。

 「党員は、全党の利益を個人の利益の上に置き、だれも党の上に個人を置いてはならない」と初めの規則にあったように、自ら代表になりたいなんて立候補すれば、除名処分になります。皆さん従順に、その会議の指導者に従いますし、最高指導者に従うわけです。最初、宮本顕治が最高指導者として、共産党の路線を定め、その後、不破哲三が理論家として規約を改訂し、今も最高指導者として、89歳で支配しています。志位委員長(62歳)、小池晃副委員長(56歳)が従っています。


  党の年収は300億円ぐらいです(2004年)。党費と個人献金がそれぞれ11億円で、 合わせて22億円です。最も大きいのは、赤旗を初めとする文書からの収入で、251億円です。ただし、発行に180億円かかりますから、純益は71億円です。ですから、党の運営は赤字続きで、選挙募金、年末募金、夏季募金、党本部建設募金、選挙委託金支援金などを絶えず募っています。そのために支部では、みかん、新巻鮭、もち、アジの開きなどを販売して、募金をまかなっています。

 こういう状況ですから、党員の負担は大きく、85億円の党本部や、伊豆の幹部専用の別荘や、幹部が資金をかなり保有しているのを見ると、離れていく党員もいます。飛行機はファーストクラス、ホテルも一流ホテルだと、貧しい党員はやりきれないわけです。けれども、建前と本音が全く違うのが共産党の特徴ですから、ぜいたくな暮らしをしていても、貧しい人の味方だと言えるわけです。ちなみに、キリスト教の特に福音派の牧師は、ほんとうに貧しいです。共産党との違いです。


 さて、建前は立派です。共産党は、22-23世紀には(随分先の話です)、「民主連合政府」を作って、共産主義・社会主義を実現する、と言っています。その政府の仕事は、①日米安保の全廃・米軍の追い出し・非同盟で中立の国の樹立②大企業を成敗して、民主的なルールを確立③憲法を守って、軍国主義のない国―を実現することです。そう先ではなく、2050年を実現のメドとして、打ち出しています。まあ、口では何とでも…建前は何とでも言えますから。

 党員には、赤旗の販売を促進し、集金し、党員を増やすという義務が課せられています。また、議員を政治の場に送るための選挙活動です。けれども、「共産党です」というだけで、電話を切られることも多く、党員離れが進んでいます。支部では、60代が若手で、70-80代が主力であるという老齢化も起きています。さらに党員の文字離れ…党員が議案を読まず、一か月経っても、大会議案を読んだ人が16パーセントという状態で、民主的とは言えなくなっています。

 「すべてはトップが決める」「幹部が集まって幹部を自ら決めている」現実ですから、なかなか民主的とはなりません。宮本顕治が最高指導者の時には、「さて仮議長をどうしよう」と宮本が言い、古参幹部が「一番年長の同志を推薦します」と宮本を推薦します。 宮本が仮議長になって、「では、議長の選出を行う」と言うと、古参の幹部が、「宮本議長を推薦します」―これで、宮本議長が長年、最高指導者となっていました。そして、「私の方から幹部会委員長と、書記局を推薦していいですか」と言い、拍手をもらって、幹部が発表されます。これが共産党の民主主義です。

 不破委員長になると、「私が仮議長を務めていいですか」と申し出て、初めから練ってあった人事案件通りに、20人の常任幹部の名簿を読み上げるのですから、落選はあり得ないわけです。宮本議長から不破議長に交代する時には、宮本議長が辞める気がありませんでしたから、89歳の宮本議長を説得するのが大変でした。共産党の議長が辞めるには、死亡か失脚しかないわけです。

 それで、「議長を選出する」という規約を、「議長を選出できる」という規約に変えて、三年間、議長不在の期間を作って、実質、不破哲三が支配したわけです。「65歳以上の同志は、原則として勇退し、若い将来性のある幹部を登用する」として、予防線も張りました。実際、自ら89歳を迎えた不破哲三は、若い志位委員長を立てて、裏で支配しているわけです。志位委員長が65歳になったときに、さて、共産党の支配者は、どうなるのでしょうか。

 共産党の指導者は、上から下に「あなたがたは…」とものをいう言い方が特徴的で、下にいる者は、「報告をお聞きして、身が引き締まる思いでした」「まだまだ自分は甘かったです。報告を聞いて、目からうろこが落ちました」というような常套句があって、必ず自己批判をしなければなりません。上から下にものを教える組織です。そうしますと、指導者の間違いは致命的になります。


 不破が失敗をしたのは、森喜朗とのテレビ対談でした。「北朝鮮の拉致はない。疑うから北朝鮮と外交ができない」というのが不破の立場でした。もちろん、理由があって、2000年の党大会に、共産党は民団(在日本大韓民国民団)と朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)を招待し、「友好と交流」をアピールしました。それは、ソウルに日本共産党の支部を置き、1998年のテポドンの発射による北朝鮮との険悪なムードを解消するためでした。実際、村山首相は、訪朝団として訪問し、2000年の4月に、政府間交渉を再開していたのでした。

 「拉致問題は、日本共産党による野党外交の邪魔になる」と不破は考えました。それで、「拉致問題は証拠がない」「横田夫妻も最初は神隠しだと思っていたではないか」「これは主権侵害の問題じゃなく、国内問題だ」としたのでした。それなのに、2000年の10月には、拉致問題のために北朝鮮との交渉が中断してしまいます。「疑惑に過ぎない」と、棚上げを求めました。

 ところが、2002年の9月に、金正日が、「北朝鮮の特殊機関による妄動だった」と認めてしまいます。「共産党の最高指導者の無謬性」が、ここで崩れてしまいます。不破は、「北朝鮮の国家犯罪」という言い方を避けて、「特殊機関の妄動だった」と、北朝鮮との交流は正しいと言って、「拉致はない」と言った言い訳にしました。志位委員長は、北朝鮮が届けた横田めぐみさんの遺骨が、本物でないと分かったときに、「意図的じゃなく、手違いだろう」と発言して、「手違いなわけあるか」とひんしゅくを買いました。共産党の幹部の無謬性は、守るのに大変でした。

 いずれにせよ、共産党は―コミンテルンがもともとそういうものでしょうが―世界の共産党をアピールして、「野党外交」を自画自賛していました。ほとんど影響力のない党なのに、「世界平和に貢献しています」とやるのです。不破は、英語が話せないので、名刺を交わすだけの「名刺外交」、何一つ話さない「沈黙の交流」を得意としました。2004年に、天皇皇后夫妻が主賓となった、デンマークの女王夫妻の歓迎夕食会に招かれた夫妻は、「天皇との共存路線を明確にした」「ヨーロッパ王室の招待は、共産党を差別しないということだ」と報告をしますが、沈黙の交流は大きな思い違いを生んでいます。

  いずれにしても、共産党の党員は、党幹部の言動に疲弊している、と言ってよいでしょう。私たちは今、北朝鮮の核攻撃の脅威にさらされています。共産党は初め、侵略があったら、「国民が自ら戦う」「警察も動員する」という「竹やりで戦う論」を語っていました。けれども、1985年には、「憲法を変えて、最小限の自衛措置として、自衛隊も使う」と変更しました。ところが、1994年になると、「一切の軍備を禁止する」「戦争は放棄する」「憲法は変えない」と強硬になりました。

 それで、テレビ番組の司会者が、「じゃあ、どうやって日本を守るの」と聞くと、いつもの語り口ですが、「ありとあらゆる手段を用いる」と言います。「それって、軍備を使うってことじゃない?」 支離滅裂になってしまいました。それで、テレビ番組を終えた後に、①安保がある間は軍縮をする②安保を破棄したら、大幅軍縮をする③アジアが平和になったら、自衛隊を解散する④過渡的な時期には、主権の侵害や、災害に対して、自衛隊を使う―としました。えっ、自衛隊を認めるの?

 その後、⑤2050年になったら、自衛隊は解散する⑥たとえ侵略があったとしても、現時点では、自衛隊に反対をする、となりました。何を言いたいのか、さっぱり分かりませんし、こんな党に、日本を任せちゃいけないなあ…と思いました。そして、共産党によく似たキリスト教にも、「そんなんじゃ、だれにも信頼してもらえませんよ」と言いたいです。

  2003年に、名古屋のキリスト教の平和集会で、「外国が侵略して来たら、とうするのですか?」と聞きましたら、「死ぬだけです」と講演者は言いました。「あなただけじゃなく、あなたの奥さんや、息子さん、娘さんも死ぬんですよ。鍋かまを取ってでも、家族を守らないのですか」と聞くと、講演者は、「妻も子どもも死にます」と言いました。私は、思いました。「この人は、人の心を持っていないなあ」と。私は、そんな屁理屈を言うクリスチャンなんか、大嫌いです。何が専守防衛だ、家族ぐらい守れよ、と言いたいですね。左翼クリスチャンの皆さん、少し、共産党路線から離れてみませんか。












 




 















 

 






 











 
  

ありますから、



























 


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