2017年8月30日水曜日
経済と大東亜戦争
大東亜戦争に日本を導いたのは、「アメリカ陰謀論」を広めた尾崎秀美(ほつみ)のような、政権内部に忍び込んだ共産主義者のスパイでした。彼らの情報操作によって、「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」(暴虐な志那を懲らしめよ)「対米開戦やむなし」「バスに乗り遅れるな」と、国民は諸手を挙げて戦争の拡大を支持しました。朝日新聞も、「鬼畜米英」のスローガンを掲げて国民を戦争に駆り立て、売り上げ部数を三倍に伸ばしたのでした。今は、朝日新聞は、中国のプロパガンダとなって、日本の領土化のために政権叩きをしています。彼らをコミンテルンと言います。
日本の軍部は海軍と陸軍が予算の取り合いをしていて、 開戦には消極的でした。しかし、近衛文麿が内閣となって、革新派が政権をとると、ソ連共産党とかかわりのある人々が政権内部に入ってきます。時に、日本は不況にあえいでいました。第一次世界大戦は、好景気をもたらしましたが、近衛文麿のような新体制運動は、「金本位制」に戻そうとする愚を犯します。金本位制は、金の量だけお札をするという考え方で、大戦中は軍費が必要なため、金本位制を破ってお札を刷りました。それを金本位制に戻すというのは、お札を回収するわけで、お札が不足すればデフレになって、不況となってしまいます。1918-1930年は、このような悪夢の10年で、それを高橋是清が「財政金融政策」によって回復させますが、近衛文麿は、金本位制に戻して、不況にしました。
第一次世界大戦は、ドイツに多大な借金を負わせるベルサイユ体制を生みます。それは、アメリカに金が吸い上げられるための仕組みでした。戦勝国の日本は豊かになったはずなのですが、1930年の1月に大蔵大臣の井上準之助が金本位制を復帰させます。不況の扉を開いたところで、1929年の12月、ひと月前のウォール街の株価の大暴落が日本経済を襲います。昭和恐慌は、貧しい農家の生活を襲い、1932年の5.15事件、1936年の2.26事件となりました。2.26事件は、高橋是清を殺すことで、成功をし始めた財政金融政策を止めさせ、続く馬場鍈一大蔵大臣は、金本位制による不況への道を選んだのです。金本位制は、所有する金の量しかお札を刷れませんから、経済の発達を阻害するのは目に見えて明らかなのに、人々は金本位制を信仰していたのです。
ドイツもベルサイユ体制の中で多額の返済金に迫られ、労働者の給与は三割以上カットされる状態ですから、デフレの不況状態です。人々は、共産主義か、ナチスかに救いを求めました。ナチスは4か月で共産党を駆逐し、一党独裁を実現しました。アメリカも金本位制による不況の中にあって、ルーズベルトの周りにはたくさんのコミンテルンがいて、反日キャンペーンによって、国民の不満を逃れようとします。日本では、北一輝のような共産主義者が、若い軍人に影響を与え、2.26事件となります。石原莞爾が戒厳参謀となって制圧し、北一輝も処刑されたのでした。アメリカも、サンフライシスコ大地震が恐慌のきっかけと言われますが、復興資金をイギリスに求めたところ、イギリスが金の流出を拒んだことが原因なので、金本位制信仰のため不況となったわけです。
日本の場合も、第一次世界大戦の戦勝国となって、豊かになったところに関東大震災が襲います。東日本大震災が、国家予算の17パーセントの損害だったのに対し、関東大震災は、国家予算の5倍の損害を与えました。そのために、5.15事件、2.26事件のような、共産主義的な暴力革命が起きたわけです。せっかく復興に向かっていたところを、高橋是清を暗殺することで、金本位制に戻って、さらなる不況を招きました。ドイツの場合は、15億ポンドが妥当なところが、60億ポンドの賠償要求が行われ、ナチスの台頭以外に救いの道がありませんでした。これは、当時の国のリーダーが、民衆の中から立てられたアマチュアで、帝王学を学んでいなかったことによります。帝王学によれば、相手が死に物狂いで戦いを挑むような要求はしないはずです。
日本はアメリカに宣戦布告し、太平洋戦争を始めましたが、出発点から間違えていました。アメリカと戦わざるを得ないなら、フィリピンのアメリカ軍と戦えばよかったのです。しかし、山本五十六は真珠湾攻撃を主張し、辞表で脅かして、それを実行に移しました。彼の無能さは、ミッドウェー海戦で、二倍の兵力を持ちながら、アメリカに負けたところに明らかです。いいえ、真珠湾を攻撃しながら、占領しなかったところにも、その愚かさが明らかです。しかし、日本人は人格者を好みます。彼もまた、軍人としての能力には欠けましたが、英雄となりました。
日本の植民地政策は、今の日本が行っているのと本質的には同じ、「海外投資」でした。 日本人が増えすぎて、海外に職場を求める必要がありました。アメリカに石油などの必需品の八割を依存しておりましたから、資源の供給地が必要でした。また、デフレでモノが余っていましたから、それを売れる場所も必要でした。そのために、ビジネスとして、日本の東北のような貧しい地域を後回しにして、海外のインフラを整え、鉄道を敷いたり、学校を立て教育したり、治安の維持に努めました。欧米のような、現地民を奴隷のように搾取する政策ではありませんでした。植民地化されたアジアの人々は、日本人をアジアの解放者と捉えました。人々は、日本の植民地をめがけて、移住してきたのでした。そのために、植民地は人であふれかえりました。
朝鮮併合 900万人 → 2300万人
台湾併合 100万人 → 600万人
満州設立 300万人 → 4000万人
インドネシアでは、やがていつか、「黄色い神」がやって来て、白人の奴隷支配から自分たちを解放してくれる、という伝説がありました。落下傘で舞い降りた日本の軍人は、彼らの伝説の成就でした。植民地となった朝鮮では、病人のために若者が指を詰める「指詰め供養」、長男を生んだ母親が乳を出す「乳出しチョゴリ」、股の肉をささげる「割股(かっこ)供養」、糞をなめて健康を診断する「嘗糞(しょうふん)」といった風習を禁止しました。そのために、日本の軍人は残酷であったと、いろいろな捏造話が生まれました。確かに、朝鮮併合だけは、やめておくべきでした。けれども、当時の日本人は、アジアに投資し、共存共栄をしようと試みたのでした。
要するに、金本位制は世界経済としては不適切で、不況を招いて、戦争を引き起こしました。聖書は、「新しいぶどう酒には新しい皮袋を」と教えています。新しい世界を、金本位制で乗り切ることはできずに、悲惨な戦争を生んだのでした。1844年にイギリスで発祥した金本位制は、アメリカ、オーストラリアのゴールドラッシュで世界に普及しますが、金の埋蔵量が限られているために、デフレ、不況、戦争へと導いたのです。民主主義国は、民意に基づいて、戦争の道を選択したのです。 それを、一部の熱狂的な軍国主義者の悪事としている限り、私たちは、これからも戦争を繰り返します。みんなが幸せに生きるための「皮袋」のために、クリスチャンは祈るべきです。
」
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